鮒寿司とニート


午前中は掃除。このところ(いつもかな?)忙しくて台所の土間が灰だらけだ。ひさびさに土間を掃き清め、テーブルを布巾で磨いたりする。午後から個展&ライブの案内ハガキのデザインとCDづくり。

CDは、PC上でデザインしプリンタで出力。カッターで切ってCDパッケージに組み込んでいく。中には10ページの付録「紙芝居BOOK」がつく。それと歌詞カード(裏面は「タマリンソングをギターで歌おう」ギターコード付き)が入る。内容はオリジナル4曲だけだけど、全体としては豪華なつくりになっているゾ。

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プリントの待ち時間はギターと歌の練習。相方はどんぐり君のクラフトに没頭していたが、接着剤が足りなくなって藤岡まで買い物。ついでに印刷用紙の買い物もお願いする。行き帰りの車の中はCDを回しながら歌練をやっていたとのこと。

夜、たまたま見ていたNHKスペシャルが琵琶湖の里山系のドキュメントですばらしい映像に釘付けになった。民家の台所土間に水路が引いてあって、そこに鯉が泳いでいる(洗い物はそこでするのだが、こぼれた残滓が鯉のエサになっている)。山の清水を直接引き、暮らしに使っている。葦(ヨシ)の利用と川漁、鮒寿司の仕込み。動植物とともにある暮らし。しかしそれを維持するためには川掃除やヨシ刈りという作業がある。田の神に捧げる祭り。それは自然に生かされている人の気持ちの表出である。こじつけの神や、伝承するだけが目的の芸能祭りでは決してない。穏やかで美しい、深みのある日本の良き時代の里山の暮らしがまだここには残っている。

いま、町では汚いものに蓋をし、「抗菌」などという言葉がはびこっている。そのような感覚からすれば、古民家での暮らしは「暗い」「汚い」「虫がいる」ということになるだろう。しかし、自然はそんなものじゃない! 抗菌で微生物を排除するという発想なら、やがて美しいアサギマダラもいなくなる。良菌とも悪菌とも、それらと共存しながら生活を美しく仕立てていく知恵があるのだ。この湿潤な日本の風土を活かした様々な漬け物や発酵食品が、全国津々浦々にある。この日本で、本物の麹菌や乳酸菌の生きていないコンビニ食のなんと殺伐としたことか。

土間で火を焚くというのは、山の木質素材を煮炊きに利用し、その灰を肥料にした、というだけではない。そのおかげで「家が乾く」「長もちする」「虫避けになる」(煙による)ということもあるのだ。いやそれだけではない。炎を見つめて癒されるという効果、そして薪の燃える匂いの良さを感じるのもすばらしい。いま、ちびカマで使うのはスギ薪が多いのだが、このところシラカシの枝も使い始めた。それがまたいい匂いを発する。燃やす木の種類によって匂いが変わるのである。

町中でも生き甲斐をみつけて、生き生き暮らしているお年寄りを知っている。だから「山が絶対にいい」なんて言うつもりはない。が、いま山にあふれ返る木質素材、今の世代で朽ちようとしている古民家(次の世代が上手に住み続ければあと100年はもつ)、放置された畑。この日本のありがたい風土を利用しない暮らしが勿体ないよな。暮らしに本物の美がないんだものな。そして山暮らしの楽しさが伝わるなら、山村に住みたいと思う若者はきっといると思うのである。

ライブの選曲で童謡を調べていたら「赤とんぼ」の詩に「十五で姉やは嫁にいき」という一節に出会った。昔は大変だったのだ。しかし、今や「三十過ぎてもニートだぜぇ」という超・飽食時代である。「苦労は買ってでもしろ」などと言うが、今の日本はどこに行っても「苦労を買うことができない」のだ。そんな子どもたち、気の毒に思う。


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