この敷地をお借りするとき大家さんに「このへんはいつもジメジメしていて、クリンソウの株があったんだけど・・・」と言われて、僕らは注意していた。そこは水源からのオーバーフロー水が染みていく場所だった。厚く茂った草を刈り、排水溝(といっても幅10~15センチメートルほどのもの)を掘りなおして、春先に見つけたそれらしいロゼット株を保護していった。
そうしたら、見事にクリンソウの数株が開花した話は、昨年のブログにも書いた。そのタネが落ちたのと、さらに埋もれていた株が復活したのか、その場所には100株はあろうかというクリンソウの密集地帯となってしまった。最初に優勢だったワサビの株が、負けそうな勢いである。
しかし、ワサビもしたたかなもので、花が終わって実がつく頃には、茎をランナーのように伸ばし始めて横に寝ていくのである。これで種をこぼせば、水流に乗るものもあり、かなり広範囲に勢力を拡大できるのだろう。もちろん僕らは、ワサビとクリンソウが優勢になるように草刈りなどの手入れをしている。ユキノシタも少し残している。
水源からのオーバーフローは細い土の溝を流れ、途中でアトリエ台所の排水が合流する。水路の内面は土と石と枯れ葉と草の根などが堆積しており、微生物のノロがついている。おかげで、米のとぎ汁や洗剤排水などを流しても、わずか数メートルで浄化され透明になってしまう。そこにはサワガニも棲んでいる。そのサワガニがまた生命活動の過程で水を浄化していく。
「干潟は生物分解・浄化が多いに進む場所」と言われているのは、汚れがたまった後に水が引き、酸素にさらされる表面積が増えて生物分解が進み、その過程が潮の満ち引きで交互に繰り返されるからだ(この原理は、現在の下水浄化施設でも使われている)。アトリエの水源は3戸共同で、皆が一斉に使えばオーバーフローの水は止まってしまい、一時的に水路の水流がなくなるときがある。ようするに干潟状態になったりするから、浄化はよりいっそう進むのかもしれない。
水路に泥や落ち葉がたまってきたら、手でかき出して近くの地面に置くか堆肥場に棄てにいく。微生物にたいして毒性のある中性洗剤(界面活性剤入り)は、だからいっさい使わないようにしている。自然水路では地面に水が浸透するので、周囲は湿潤な感じに満ちている。これもまたいいものである。
このアトリエ敷地の「水の気配」を感じていると、町に降りて郊外を歩くとき「荒涼としている」「乾燥してパサついている」「生き物がいない」ということを強く感じるのである。管や水路によって水系が閉ざされてしまうと土に染みる水が少なくなり、微生物のちからが弱まる。合理主義の西洋土木技術のもたらした弊害のひとつである。日本のように湿潤で生物の豊かな所は、もっと自然親和的でファジイな排水システムが、本当は合理的かつ経済的なのだと思う。