「東横イン」は無料で朝飯がつく。ロビーでおにぎり、漬け物、味噌汁、コーヒーがセルフ形式で食べれる。安旅行には1食分お金が浮くのはありがたい。が、名古屋の喫茶店のモーニングを食べてみたくて途中で喫茶店にも入ってみる。
昼食は郡上八幡でとった。ここは長良川流域で、町なかの水路に渓流魚が泳いでいるという街だ。以前、林業系のワークショップを取材したとき食べた店がなかなか良かったので、散歩がてらその店「徳兵衛」を探し当て、また旨い飯にありつけたのだった。ここは居酒屋なのだが昼のランチをやっているのだ。夏にまた来て、焼きアユでここで飲みたいものだ。
高山はネットで探した民宿に泊まった。朝食付きで5000円ちょい。名だたる観光地、それも古い街並の真ん中、という立地にしては廉価だ。宿に荷物を置いて「高山祭屋台会館」へと急いだ。
僕は昔、林業体験・見学NPOを主宰していて、そのツアーで高山と宮村には何度も訪れている。また、林業関係の取材の帰りにはよく高山に寄るので、今回は7回目の訪問になる。しかし、いつもばたばたしていて、屋台をじっくり見たことがない。もちろん、高山祭りを実際に見たことがないのだ。
最初に高山を訪れたのは1996年だった。翌年から展開する未来樹2001の準備旅だった。ここでイベント先の学生から高山祭りの屋台の写真を見せられ、そのある彫刻に目が釘付けになった。技巧だけではない、魂を揺さぶられるようなものをその彫刻に感じたのだ。それは谷口与鹿(たにぐち・よろく)という作者のもので、僕はその写真を一晩借り、スケッチブックに模写し、名前を書き記したものである。
屋台会館では、和服の若い女性が案内してくれ、朗々と詩歌を読むような調子で解説してくれるのだった。屋台すべてがここに展示されているわけではないので、与鹿の最高傑作と思われる屋台は見れなかった。しかし、「飛騨の匠」と、それを活かし切った町人の凄さは、この数台の屋台と大神輿から十分伝わる。
屋台や木造や彫刻の美だけではない。漆塗りや彫金の技巧があり、染めや刺繍のすばらしさもある。すなわち、すべてが自然の産物から生まれた、美と技巧の結晶なのである。日本の祭りにあまたの屋台があるが、以前失望させられた「秩父の夜祭り」とまったくちがエネルギーを、この「高山祭り」の屋台に感じた。
日本の宮大工や、あらゆる技巧の「オリジナル」がここにあるのだ。なぜなら、飛騨の匠たちが京へ降りて仕事をしていたのだから。なぜ飛騨にこのような洗練と技術が生み出されたのだろうか? 高山はやはり特別な地なのであり、記紀神話における高天原であるという説にうなずけるのである。
宿に戻り、風呂に入ってからふたたび町へ出て、夕食はワインを味わいながら飛騨牛のステーキを食べる。白浜に泊まりながらマグロも食べず、伊勢志摩に泊まりながら伊勢エビも食べずの旅だった。あの未来樹の高山から、林業への思いの10年を駆け抜けた自分に、褒美を与えてもいい頃であろう。