ストレスと健康に悩んでいる若い友人に料理本を送ろうと思い、最近の丸元淑生氏の料理本の状況をネットや書店や図書館で調べてみた。現代栄養学は食事と健康についての新知見をどんどん積み重ねており、丸元氏もそれに合わせて進化しておられる様子が頼もしかった。
丸元氏の著作に初めて出会ったのは文春文庫『丸元淑生のシステム料理学』で、そのときから鰹節を自分で削ってずっと使い続けている。いまアトリエの手元にある『丸元淑生のクック・ブック』の奥付けをみると1987年とあるから、あれから20年の歳月が流れているわけだ。
ときには好き勝手な外食もする僕が20年以上医者にかかったことがなく、いまも山のアトリエでもりもり元気でいられるのは、食の基調に丸元氏の料理と栄養学の影響があるからだと思っている。
しかし、解せないのはその数々の良書が文庫化されているにもかかわらず、大型書店にさえその在庫がみられないこと。図書館では多くが閉架図書になっていることだ。
前橋や高崎の書店をいくつか回ってようやく手に入れたのは『何を食べるべきか―栄養学は警告する』(講談社+α文庫)だった。これはかつて飛鳥新社から出た『生命の鎖』の改題新装版で、当時買ってすぐ読んだのだが知人に進呈して手元にないので、文庫版を買ってもう一度読み返してみた。今でも(いや今だからこそ)多くの人に読まれるべき非常に重要な問題が詰まっている本だ。
時代の節目としてタイムリーだったこの労作とは裏腹に、日本の自然・農漁業・外食産業・食料品店事情は逆走し、若い人たちの食と健康状態はさらに追いつめられているように思う。
丸元氏は初期の著作『丸元淑生のシステム料理学』のまえがきに「継承すべきわが国の食の伝統を継承して、それがしっかりと根づくかたちの家庭料理の体系をつくりあげる」ことを目標に掲げている。
その後は魚料理を発展させ、その理想的な食べ方やアラのストックと野菜を組み合わせたスープ料理などを展開していて、「食の伝統・家庭料理の体系」の後ろに、日本の自然と風土が生み出す産物への志向がみられる。いまも肉料理はほとんど取り上げられていないのは、そのほうが家庭料理として健全な食事であり「自分を守る食事が地球を守る」食事でもあるからだ(現在の畜産を維持するために広大な農地と水、そして大量の薬品が使われている/『何を食べるべきか』第三章)。
僕が丸元氏の料理本から影響を受けたのは鰹節だけではない。
・豆料理の新しいやりかた。豆と穀類の組み合わせがアミノ酸の組成を高めること。
・青菜の酵素を壊して栄養素の損失を最小限に止める茹で方。または炒め方、ステンレス多層構造鍋での新しい料理法。
・本物の出汁を使った煮物の美味しさ。それらが栄養価が高いがゆえに美味しく感じられるという事実の驚き。まだまだある。
旬のアサリでボンゴレや炊き込みご飯をレシピ通りに作ったときの旨さや、実際に魚市場で買ってきた生きナマコを丸元氏の本の通りに自分でさばいて食べたとき「この味に日本の自然の一極致がある・・・」と、心底感動のあまり落涙した思い出はいまも鮮やかだ。
この日本の土地をうまく使い回せば、美味なる豊かさと健康と喜びを享受できる、ということを丸元料理学は教えてくれる。さてアトリエでは、完全無農薬で無肥料に近い穀類・豆・野菜を生産中である。再び氏の料理本をひもといて、新たな驚きに出会うとしよう。
その本に健全な農業が行われていてこそ人々は健康に過ごせるという記述があった。新旧食品成分表を見ると、1950年頃と2000年頃のお野菜に含まれるビタミン・ミネラルは大きく減っているそうですね。例えばミカンのビタミンCは1/20に。今、平均的(市場から入手し分析すると)に緑黄色野菜といえるお野菜は皆無となった(栄養素[ビタミンA]の含有量で定義されていた)のに多くの人々が緑黄色野菜を食べている気でいる。たまには無施肥の作物でも食べないと健康には過ごせなさそうだし、ビタミン・ミネラルが含まれない作物しか入手できない生活環境では、病人が増える事も必然かなと。
本当にその通りです。近所で慣行農法で青物を作っている畑があるのですが、専用のタネと化学肥料を使っているせいか、驚くほど成長が早く収穫され出荷されていきます。自家採種の自然農を自らやるべきか、そのような農家から直接購入するか、少々高くても自然食品店を利用するのがいいですね。昔のままの成分を残している野草にも興味があります。これからの時代は勉強と自衛が必要です。