宮城まで来たので、昨年の暮れに制作・設置した「ふゆみずたんぼ」の看板を見に行くことにした。
すでにイネが育っている。ちょうど田んぼでは子供たちとの生物調査のイベントが行なわれていた。田んぼの持ち主のSさんにおそるおそる聞くと、やっぱりこの田んぼは無農薬・無肥料、しかも無除草(!)だという。
普通の田んぼと収量はほぼ同じだったという昨年の話を、以前Sさんから直接うかがって「ふゆみずたんぼ」の凄さを知ったのだが、これが確実にできるとすれば、大変なことである。無除草でできるのは、冬季に堪水することで田んぼにイトミミズが繁殖し、その糞が水面下に「トロトロ層」と呼ばれる被膜土層をつくる。これが雑草の発芽を抑制するのだ。
無農薬の田んぼに挟まれた小さな自然水路の中の、生物相がまたすばらしい。大型のドブガイとタナゴとヨシノボリが共生している(タナゴ類は二枚貝の水管に産卵する特異な習性がある。ドブガイの幼生はヨシノボリのヒレに寄生して育つ期間がある。3者は不思議な関係を持っているのだ)。
田んぼが冬季堪水することで、水鳥の住処やえさ場をつくり、不耕起、無代かきであることで微生物を豊かに保つ。水路と田んぼは木製の小さな「水田魚道」で結ばれている。その水路は河川との連結も考慮されているという。すなわち、海から田んぼまで、水系が生きて繋がっているのである。
他にもマルタニシ、ドジョウ、エビ類、その小さな水路のなんという豊穣さ。真に自然を活かした農業に生きるなら、平野部はものすごく豊かなのだ。この水路の生き物を見れば、僕らの住んでいる山間地は「寒村」などと呼ばれる意味がわかる。
たくさんの生き物が暮らす条件がなければ、水は絶対に浄化できない。農薬や家庭排水に入り込む合成洗剤成分は微生物を殺し、その系のスタートをずたずたにしてしまう。家庭排水に味噌汁の残りを流すのと、合成洗剤を含んだ洗い水を流すのとはワケがちがう。前者は度が過ぎなければ微生物のよい餌となり、その生命活動の中で有機物が分解される。が、後者は微生物そのものを殺してしまうので、有機物が加算されやがてヘドロ化する。
『だから、せっけんを使う』(三一新書、1991)で船瀬俊介氏が指摘した問題はいまも改善されぬまま続いている。これはそのモノを生産する企業とそれに癒着するマスコミ・役人が悪いのは言うまでもないが、一人一人の気づきと実践で変えることができる問題なのだ。が、各地の温泉地で市販のシャンプーを使う姿をみて虚脱感を覚える。全国に巡らされたドラッグストアでは今日も様々な「微生物殺傷毒液」(もちろん人にも有毒)が手を変え品を変え売られている。
僕らは温泉へ行くとき持っていくのは「シャボン玉せっけん」1個だけだ。これで髪も洗える。
昼から松島へ出て昼食は海鮮丼。裏磐梯まで足を伸ばして秋元湖の上流河川の林道、大学時代、釣りのホームグラウンドであった渓畔でビバーク。あれから30年。カラマツが大きく育っている他は同じように見える。