またまた林業の取材で遠出。群馬の県北から長野へ抜け、上田で一泊。ま、取材の内容は例によっていずれの成果で語ることにして、その他のもろもろをここで書くことにする。
吾妻郡・川原湯温泉
さて、群馬での取材を終え、上田へ向かう途中は、まずは温泉である。川原湯温泉の「王湯」へ入る。300円。ここは露天風呂もあるのだが、内湯のほうが雰囲気があり落ち着く。ちょっと灯油のような臭いがある不思議な湯なのだが、実に効く。これが八ツ場ダム建設で失われてしまうのはまったく惜しい。でも番台のおばちゃんの話しでは「工事が遅れているらしくてあと3年は営業できそう」という。
嬬恋を通って長野へ。YKが、池波正太郎の『真田太平記』全12巻を読書中のこともあって、途中、真田城址跡に登ってみる。
上田城の駐車場に車をとめて市内をぶらぶら。上田は蔵が多くて古い店・渋い店が残っていて、不思議な落ち着きをもった町だ。松本ほど規模が大きくないところがまたいい。
下諏訪・菅野湯
次の取材先は山梨、諏訪へ南下。下諏訪温泉へ立ち寄った。下諏訪の温泉は3回目。今回も地元の人が入る外湯「菅野湯」へ。小さなな銭湯のような感じで、値段は220円。
最近はやりの日帰り温泉は、源泉を循環で使い回したり塩素投入したりするが、歴史ある温泉街の外湯はまずそんなことはない。昔は宿は泊まるだけで、宿泊客はその温泉街の外湯に入るのが一般的だったという。ただし外湯は湯量の多い温泉地にしかないようだ。
さて、菅野湯。入り口はまず観光客は絶対に見つけられないであろう佇まい。路地に導かれてドアの前に立つとしっかりと木彫りの看板がある。入浴料を番台の前にある自販機でを買うと、コロリと出てくるプラスティック札。それを手に取って番台のおじいさんに渡す。
服を脱ぐ囲い棚はたいてい合板だが、ここはスギの無垢材。湯船はタイルで楕円形。間口からは想像もつかない広い空間に歓喜する。先客はご隠居さんが3名。湯船の中央に二方向からこんこんと湯が注ぎ、とうとうと湯船から源泉が溢れている。柔らかい湯であった。
車は裏手にある市営駐車場に止めたが、「菅野湯」利用客は駐車料金はタダ。世の中がどんどんコンクリート化・電化・石油文明化・不自然化・マニュアル非人間化される中で、ここはいつまでもこのまま変わらないでいてほしいと、願わずにいられなかった。
富士川から茅ヶ崎へ(「開高健記念館」)
山梨某所で取材を終え、富士川沿いの道の駅で車中泊。翌朝は富士の裾野を横断して箱根に抜け、小田原から湘南へ。前から行こうと思っていた茅ヶ崎の「開高健記念館」へ立ち寄る。開高健(かいこう・たけし)は僕の人生前半に最も大きな影響を受けた作家の一人といっていいだろう。
高校時代に読んだ小説『日本三文オペラ』の衝撃、エッセイ『白いページ』などをむさぼり読んだ大学生時代。が、なんといっても世界釣り紀行の先駆け『フィッシュ・オン』の影響は大きかった。
おかげで中学時代からルアー・フライ釣りのとりこになり、大学時代は東北の湖や渓流で釣り三昧の日々を過ごし、北海道にもキャンプ旅をした。もちろん、銀山湖にも何度か行った。
釣り紀行では、その後のアマゾン紀行『オーパ!』、北南米紀行『もっと遠く・もっと広く』が売れに売れ、開高健その人は文学に関心のない一般人にも広く知れ渡ることになった。
だが小説家としては『夏の闇』を書きあげたあたりから難渋を始め、『ロマネ・コンティ一九三五年』という短編集を読んだあたりで、僕は開高に見切りをつけた。彼は戦中戦後の文学者の流れを汲む、一種の破滅型・私小説作家なのかもしれなかった。
開高の釣りの師匠、群馬桐生の常見忠さんはルアーの創作者でもあり、僕もずいぶん彼のルアーを使ってニジマスを釣ったものだが、その傑作スプーンの「バイト」に開高のサインが彫られたものが売っていたので購入。これをキーホルダーがわりに、コペンとアクティの車につけ、開高の旅の夢をつないでいこうと思う。
〆は藪蕎麦
さて、今回の旅の句読点はやっぱり麺類・蕎麦。浅草の路上パーキングに車を止め、並木の「薮」で蕎麦をたぐる。木造、中に白いエプロンのおばさん。完璧な接客。畳の小上がりに席をとれば、テーブルはケヤキの一枚板。それが、これ見よがしでなく、実にさりげなく。ここに江戸が残っているという奇蹟のような店だった。