たまには太い薪を燃してみるか。ってことで割って約一年乾燥させておいたクヌギを囲炉裏にくべた。ちょっとリッチな気分。写真下部に、あぐらをかく僕のジーパンの膝が飛び出している。薪のサイズがわかろうというものだ。
思えば2年半前、法師温泉で 本物の囲炉裏を見たのが始まりだった。宿の帳場のわきの座敷に小さめの囲炉裏があった。中に広葉樹の太い薪がチロチロを赤い炎を揺らし、大きな鉄瓶に湯が沸き、宿の人が竹のひしゃくで湯を汲んでお茶をいれてくれる。煙の香りがすばらしかった。炎を使う囲炉裏はとても新鮮だった。
今の囲炉裏では、煙を嫌って炭を使うことはほとんどだ。が、これを見たとき「囲炉裏の本質は炎だ!」と思った。そして、さっそくアトリエの囲炉裏を再生し、実践してみたのである。
炭を用いる囲炉裏は趣味のものだ。薪や柴をつかって炎を立てるとき、囲炉裏はその真価をみせる。そして、初めて生活の道具・装備となる。薪の炎を使う囲炉裏は、炭火よりずっとローコストで、暖かい。
太い薪を使うときは、先端の燃えている下の灰を少し掘ってあげると空気が通ってよく燃える。そしてときどき火ばさみで先をコンと叩いて、熾炭を落としてやるといいようだ。法師温泉でも宿の人がそうやっていた。その熾き火を使って、隣で焼きのもや煮物ができる。味噌汁の保温などにもちょうどよい。
アトリエの囲炉裏の枠は長方形なのだが、吊るしカギがシンメトリーをやや外してぶら下がるようになっている。なぜ中心にきれいにぶら下げるように作らなかったのか? 最初にけげんに思ったのだが、いろいろ使っているうちに、ズレで空いたスペースがとても便利なことに気づいた。ここでもう一つの調理ができるのだ。
ちなみに、ガスの火では極弱のとろ火を維持するのは難しいが、炭なら簡単で、煮物などはとてもやりやすい。煮物の味は冷めながらしみていくからだ。たとえば昆布の煮しめとか、おでんとか、煮豆などにも便利だ。囲炉裏や火鉢が消滅して、できにくくなった、あるいは味が悪くなった日本料理も多いような気がする。
仕事の合間に畑で収穫。落花生は全部上げた。サトイモとヤーコンはよくできた。まだ畑に半分以上残っている。ウコンもできた。掘り上げると、なんともいい香りがする。ショウガは小さいが、いろいろと役に立つ。白インゲンは今年は1ヶ月近く遅まきしてしまったら、完熟する前に霜がきて葉がしおれた。そこで青いまま全部収穫。さて、どうやって食べようか。
ヤーコンの新芽部分。これを春まで保存し、植え直すとまた一株つくれる。
これはウコン。カレーの黄色付けのスパイスになる。ショウガの仲間。スライスして乾燥させ、粉末にして保存予定。
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