ポジティブな火の物語


遠方から友人が訪ねてきたので、アトリエ式のおもてなしをする。といっても、たいていはいま僕らが凝っている生活形態や食をそのまま体験してもらうのだ。みんなブログを読んでいるので、きっとそういうことに興味があるだろうから。

前々日から小麦を石臼で挽き、塩水で練って寝かせておいた。夜はそれで根菜と菜の花を入れた「おっきりこみ」を、翌朝はエゴマを入れたチャパティを作った。夜のつまみは煎りたてのどんぐりや落花生。朝は一緒に畑を散歩しながらクレソンを摘み、それとヤーコンと煮豆を入れたサラダ。

鰹節を削り、囲炉裏の炎をあやつりながら出汁を取り、野菜の具を油いためしてから出汁を入れて味付け。煮えたら麺棒でのして切った麺を投入。という一連の作業をお客さんの目の前で演じるわけで、考えてみれば贅沢なショーかもしれない(笑)。

 「囲炉裏でこんなにいろいろなことができるんだねぇ」

と客人はいたく感心していた。夜は薪ストーブに火を入れた。久しぶりの薪ストーブはなかなかいいものだった。今年の冬は暖かい。羽織を脱ぎ、サマーセーターのままビールを飲む、という贅沢さであった。

朝のエゴマ入りチャパティにはその味に感嘆の様子。やっぱり、この美味しさはわかるよなぁ。現代人の美味しさの範疇にはない「食べても食べても飽きない」なんとも豊かな味なのだ。

それにしても、囲炉裏はやはりすごいなあと思う。ここに座ってもらうだけで、時間の質ががらっと変わってしまうようだ。初めての客人にも、煙や背中に寒さも心配したほどではない。以前はしたたかに煙らせてしまったこともあったが、このごろは十分乾燥した薪を使い、天井の空気穴もやや広めたことで問題なくなった。

日本人は暖炉や薪ストーブを使わず、縄文の昔から囲炉裏を愛用してきた。それは森の破壊を最小限に押さえる知恵であったのかもしれない。ログハウスも造らなかった。ログハウスはいいものだが、木を無駄にする建て方である。日本人は柱と梁にだけ丸太を使い、壁は土や板を使うことで木を最も効率よく最小限に使った。

ログハウスでは暖炉や薪ストーブが似合うが、その薪は木を伐採し、玉切りし、斧で割って乾かさねばならない。たとえばログハウスの本場、北米大陸は、日本よりも寒冷だから、木の生育は遅いであろう。もし日本のように人口密度が高い場所で皆がみんなそのように丸太や薪を使いだしたら、山の再生スピードが追いつかず、禿げ山だらけになってしまうだろう。

実際、ヨーロッパから移住した白人たちは、山の木を伐りまくり、バッファローを絶滅させ、森を破壊したあと火入れを行って牧草を確保し、牧畜を行ったのだ。ネイティブアメリカンたちは家畜を飼うことはしなかった。ログハウスや暖炉は使うことはぜす、ティピーのような祖末な小屋、そして囲炉裏であった。囲炉裏の薪ならば、大木を切り倒すようなことはしなくていい。枯れた枝、嵐の後に倒れた木、などを上手に使っていったのだ。

囲炉裏を使い始めて3年目の冬。囲炉裏を使った生活を発見することで、僕らはしゃかりきに薪づくりに追われる生活から解放され、同時に虫や鳥たちや花々の祝福の声が聞こえるようになった。

いま太田龍とベンジャミン・フルフォードの『まもなく日本が世界を救います』という本をじっくり読み直しているのだが、その中に「世界に類のない縄文”土器”文明こそ日本の原点」という一節がある。

地球上のどの民族とも同じように、石器で狩猟を中心とした時期があるのだが、一万数千年前に日本人の祖先は、石器は危険な凶器に進化するのでは? と直感的に考え、石器をできるだけ使わないように、土器を主体とする生活に切り替えた。土器は煮炊きや発酵や貯蔵に使われるもので、破壊の道具にはならない。世界の原始民族で土器主体の文化・文明をつくったというケースは日本以外にないという。

概観すればこれまで西洋文明は破壊の文明だった。自然界のエネルギーには「膨張と創造のエネルギー」と「収縮・破壊のエネルギー」の二つがあるが、西洋ルネッサンス以降の科学は後者だけを研究対象にしてきた。一方、日本人は「生命創造のエネルギー」が本体と考えている。それは大陸から新しい文明を取り入れたときも、家畜制度を禁忌し、肉食を否定して、牛馬は労働力として使い、家族の一員のように育てたことでもよくわかる。

が、日本は明治時代に西洋文明を急速に取り入れて以来、西洋科学が絶対というふうに刷り込まれている。また明治以降、日本人の経済学の基礎にはアダム・スミスがいるが、その経済学は「労働だけ」に価値を認め「太陽や空気や水」に価値を認めない。この思想は人類を破滅へ導く。労働と資本で運営された経済は、価値のないものに対して非情で、どんどん破壊していくからだ。

いまの環境破壊の危機を乗り越えるには、生命創造エネルギーという文明に地球全体が変わらねばならないのだろう。そのヒントは太陽の光と植物にありそうだ。地球上の生命の大元は植物にある。植物は何物も破壊せず略奪せず、自らが動物たちを養っている。日本人はこれまで植物に対して、ものすごく親近感を抱いてきたことは確かであろう。

友人を駅まで送ったあと、新聞で「高崎音楽堂」が取り壊される記事を読んだ。レーモンドの名建築といわれているが、老朽化が進み、すでに補修費用に数千万円をかけているのだそうだ。しかし、わずか50年でスクラップになる鉄筋コンクリート造とはいったい何なんだろうか? 僕らはその倍を生きた木造古民家の中で、囲炉裏の火を焚いているのだが。

天日干しの小麦を石臼で粉に挽き、エゴマを混ぜたチャパティ。それを囲炉裏の火で焼いたものがこんなに豊かな味を醸すのは、火の種類までがポジティブな、生命創造のエネルギーそのものだから。

自然農、針広混交林、囲炉裏、発酵食品、生物浄化・・・静かに膨張し、創造するもの。今年からまた、アトリエの仕事もますますそんな方向にシフトしていくことになるだろう。


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