石垣取材旅6(佐田岬のあおいし)


佐田岬へ。岬の先端まで道のりは40 kmほどあり、背骨に主要道路が走っている。朝方、多くの車が動いていることに意外な気がしたが、これらは伊方原発の関係車両で、そこを過ぎると先端の三崎港から九州へフェリーで渡ろうとするトラックだけになる。岬の先端までは相当に長いので、普通の観光客はここまでは来ない。

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岬の岩は緑色片岩、地元の人はこれを「あおいし」と呼ぶ。変成岩の一種であるが、私がアトリエをかまえる町ではこの石を三波石と呼んで、庭石として売っている。この海岸で三波石に出会うとは感慨深いが、四国の中央部を東西に走る中央構造線の北側には、この石が広く分布しており、吉野川流域にも見られる。むしろ関東地方でこそ稀少な石である。

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ちなみに地質用語として定着している「御荷鉾(みかぼ)構造線」や「三波川変成帯」は、アトリエのすぐそばにある御荷鉾山や三波川から名付けられたものだ。これは明治の中頃、初めて関東山地でこれらの岩石や地層が研究されたからで、群馬南部は古生代の地層が複雑に入り組んでおり日本地質学の揺籃の地なのだ。

さて「あおいし」は硬いのだが、層状をなして平板状に割れやすく、石積みにはもってこいの石だ。海岸には、平板に割れたものが波に研磨されておせんべいのように丸くなった石がざくざくと敷き詰められている。

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この地域の人々は、台風の潮風から家を守るために、その石で石垣を作ったのだ。斜面に平坦な場所をこしらえるための造成・土留めの石積みだけでなく、純粋な塀としての石垣がここでは見られる。正野地区の港にある石垣。この裏には家が隠れている。

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開口部がある石垣も。平たい石なのでとても積みやすい。

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その天井。コンクリートや粘土などは使われていない。

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撮影中に雷がなり雨が落ちてくる。一休みして港のひなびた食堂でカレーを食べた。家庭のカレーに味だけど、なんとなくパワフルで量がたっぷりなのはさすが港町というべきか。

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さらに井野浦から半島の南に回ってみることにした。石積みが土台を越えて、壁の一部と化している漁師小屋。

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サツマイモの畑の周囲にも石垣。風や獣から作物を守る。

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見事な平積みの石垣。今ならコンクリートブロックを使ってしまうところだが、石垣には美しさがあり、積み直しの再生がきく。

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上から見たところ。両側から石が刺さっている感じ。中央には泥と小石が詰められているようだ。ちなみに、南西諸島などでは石垣から風が通るように中には詰め物をしないという。

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名取の集落へ向かう道に入り込むと舗装はされているもののガードレールがない。そこに石垣が組まれミカンが栽培されている。ここで農業とは? なんという過酷な急斜面、それは驚くべき光景だった。

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風避けに石垣の天端にビャクシンのような針葉樹が植えられ、その内側にミカンの木が育っている。集荷などはエンジン式のモノレールによっているようだが、それがなかったころは人力でこの斜面を行き来していたのだ(この石垣畑ではかつて主食の麦とイモが栽培されていた。ミカンが栽培され始めたのは昭和に入ってから)。

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石英が大きく入り込んだ青石。ここでは石灰岩なども混じり、石垣自体も美しい。

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矢羽積みの石垣に花が咲く。

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「岡の川」と呼ばれる井戸(湧水)。佐田岬は標高3~400メートルの山があり意外にも湧き水がある。だからこそ住むことができたのだろう。

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再び背骨の幹線に上がって宇和海岸を南下。ブログにときどき書き込んでくださるミカン農家のアベッカムさんを訪ねてみることにした。ちょうどスプリングクラー散水管理の当番をされており、無農薬有機栽培のグループの方がそこまで案内してくださって、お会いすることができた。

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ここもまた、すばらしい石垣が重なっている。石灰岩の石垣でその白とミカンの緑が印象的だ。しかし補助金でようやく命脈を保っているとかで、次年度にそれが切れると、多くの農家がミカンから離農するだろうとのこと。この条件でカリフォルニアのオレンジと同じ土俵で戦うのはどう考えても無理がある。

ぜひとも無農薬の自然農法で、石垣と共にある美しい暮らしを守ってもらいたいものだ。それが海を守ることにもつながり、海の幸を育てるのだから。

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奇しくも伊予の自然農の先達、福岡正信氏が永眠されたことを、高松のホテルの新聞で知った。


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