朝食をごちそうになり、茶の時間になるが、Uにポストカードなどを見せつつ喋っているうちにバーボンの封が切られる(笑)。この10年間にyuiさんとともに様々な個展活動を展開してきたわけだが、Uには案内状を送らなかった。「オレには個展のハガキは来なかったぞ!」とUが言う。
「それは仕事のあるUが北海道から来られちゃ、申し訳ないと思ったからさ」と、私は言った。しかし、本当の答えは、その期間は本当の自分ではないと思っていたから、Uにはその姿を見せたくなかったのかもしれない。
Uのブックコレクションもなかなかのものだ。デビッド・ダンカンの写真集、晩年のピカソを撮った『VIVA PICASSO』がテーブルの上に。
そして開高健。これは私からの影響というのだが・・・。
「オオウチ、取材の帰りにもう一泊していけよ」
「ありがとう。そうするよ」
当然ですが運転はyuiさんで(笑)次の目的地に出発。
アイヌの聖地といわれる二風谷。ここのチセ(アイヌの伝統的茅葺き家屋)を見に行く。ところが、ここで思わぬ出会いに驚く。二風谷の手前の平取町にある「義経神社」である。
平泉の衣川で死んだことになっている義経は、実は北海道に渡ってアイヌと暮らし、さらに大陸に渡って・・・という「義経=ジンギスカン伝説」はよく知られているが、二風谷の手前にこんな神社があったとは。境内には義経資料館まである。
二風谷の萱野茂資料館とアイヌ文化博物館の両方を見る。チセもいくつか回り、掘立て柱や囲炉裏の構造などを観察する。
しかし、閑散としており、全体に冷え冷えとした印象だった。なにより残念なのは、本物の火が囲炉裏に燃えていないことだった。現代に自然再生の文化を蘇らせる拠点としての、アイヌ文化の炎が感じられないのだった。
生活と一体になった、自然に寄り添う文化が大事なのだが、それが今、ことごとくガラスケースに収められた陳列物と化してしまっている。再建されているチセの内部にも囲炉裏を燃やし続けている形跡がない(屋根裏が燻されていない)。
極め付きはアイヌ文化博物館の囲炉裏である。鉄筋コンクリートの建物の中に収められた囲炉裏のレプリカの前に、液晶テレビが置いてある。スイッチを押すと、炎が燃えている映像が映し出されるのだ。嗚呼・・・。
和人の侵略によって北の大地はことごとく破壊され、アイヌは蹂躙された。だが、魂まで消えてしまったというのか。ならば、私たちが再びこの文化に新たな息吹を与えて蘇らせねばなるまい。
海岸まで戻り、門別温泉「とねっこの湯」で入浴。ここで食べたアイスクリームが美味かった。その後、苫小牧方面に戻り、道の駅むかわ泊。ここはシシャモの産地でビールが飲めるところがある♪ 北海道の田舎は値段が安くてイイ。
折しも10/30のニュースに二風谷ダムの堆砂が問題になっていた。
「二風谷ダム:土砂で4割埋まる 10年で200年分 当初計画、大幅に超過。/二風谷ダムは国の直轄ダム。沙流川(全長102キロ)の利水や発電などを目的に『沙流川総合開発』の一環として計画された。約20キロさかのぼった支流の額平川には、セットで計画された『平取ダム』が建設中だが、前原誠司国土交通相は事業凍結を打ち出している。総事業費は1313億円。」(北海道毎日jp)
囲炉裏を捨てて電気を湯水のように使い続ける破壊的文化をダムが加速させる。山には落ち枝が腐り果てているというのに。