町屋カフェ、大文字送り火


阿波踊り最終日を最後まで見届けた後、眠らずに徳島を出発し淡路島を走って京都を目指す。淡路島の橋だけ高速利用、後は下道。途中、何度か仮眠を取りながら、朝、亀岡に到着。しばし仮眠を取るが、朝日が上がったとたん車内は暑くてとても寝ていられなくなる。

都市のヒートアイランドは限界を通り越している。人は建物や車の中に逃げ込み、自然に不感症になっていく。大都市の近郊の山には産廃、墓地、姥捨施設、ラブホ、変電所、ゴルフと、廃棄と享楽が渦巻いており、山林の浄化機能に目を向ける人もいない。路上のデジタル温度計はすでに32度を差している。京都郊外のカフェに逃げ込む。すでにカフェは満席だった。

長居しようと思ったが、30分ほどで次の待ちの客が私たちをじっと見ている。早々と店を出て嵐山までドライブ。

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ここもナラ枯れが見られる。渡月橋周辺はかつて一面マツ山であったという。昔からの観光地にマツが多かったのは、薪を頻繁に山から採取していたからだ。それでマツしか生えないほど痩せ地になっていたのだ。

マツなどは落ち葉でさえ燃料として重宝された。それがエネルギー革命によって放置されるようになると、堆積した落ち葉で土が肥え始めた。土が肥えるとマツと共生関係にある菌根菌(マツタケは菌根菌の外部生殖機能をつかさどるもので、キノコの本体は根にまとわりつく菌である)は衰退する。するとマツが衰弱してヤニが出なくなってしまう。するとカミキリムシが増え、マツ枯れが蔓延することになったという説が、ようやく学会で認められるようになってきた。

しかしマツは陽樹なので、わりと林床は明るい。だから放置されても下草や実生の雑木は豊富に生えていた。マツが枯れても下に生えていた広葉樹などがすぐに大きくなる。だから全国のマツ枯れ跡地みても、崩れた山はほとんどない。やがて枯れ木も白骨化して広葉樹ばかりが目立つ山になる(一部にはモミやマツが残る)。それが現在の嵐山の姿だ。しかし、いまそこにナラ枯れという現象が起き始めたのだ。

10時から「仁左衛門の湯」で汗を流し、昼に京都の町中へ。町家もクーラーに頼らざる得ない。扇外機が醜いのがいかんともしがたい。

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町家の個人商店も健在。

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西陣の路地にある町家カフェ「les trois maisons(レトワメゾン)」を探訪。

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築80年の町家を改装。ここは機織り機械の部品で商売していた家だそうだ。東京にも店舗をもつグループの経営で、マスターは雇われらしいが改装から庭づくりまで自分で手がけたそうだ(また、そうでなければ古民家の維持は難しいだろう)。

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木造土壁古民家でカフェをやる場合、困るのはネズミの被害だ。京都の町家は隣が接近している(または壁1枚)ので、隣家から忍び込んでくる場合もある。意京都はネズミだけでなくイタチの被害があるという。残飯は室内に残さずバイクで捨て場に出しに行くという徹底ぶりだ。

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窓は閉じて冷房は効かせていたが、マスターは壷庭や通り庭・井戸の機能をちゃんと理解していた。冬の寒さは火鉢やカマドの再生で補いたいという。ここではカマド煙突は消防法には引っかからないらしい。中庭の剪定や植栽も自分でやっているそうなので、その枝も燃料に使うことができるだろう。ここは2階が泊まれるようになっている(1日1組限定)。

※後にカフェ経営者が『ヌフカフェはなぜ潰れないのか ~武田康伸のカフェ経営哲学』なる本を出していることを知った。後で読んでみよう。

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さて、夜はお待ちかね大文字の送り火見学。たくさんの送り火が一度に見れる船岡山を目指す。バスが近いが私たちは地下鉄の鞍馬口駅から船岡山まで歩く。iPhoneのナビを使えば路地歩きもへっちゃら。建物の美しさが歩きを飽きさせないのだ。

石段を上がって山頂へ。人でごった返してまた暑いこと! 背中から汗が流れる。一番目の大文字に着火。歓声があがり、シャッターを押す手が天を突く。「みえないよ~!」(とyuiさん)。

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初めて見た送り火、美しかった。今年はナラ枯れの影響で松明を減らしたというから、ほんとうはもっと盛大なのかもしれない。

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