先日、誰かのリツイートで丸山健二のツイッターを発見して驚いた。げええ? あの人がツイッター始めたのかよ。で、早速フォローすると私もツイートしている庭山由紀さんや東海アマさんもフォローしていてまた驚いた。
調べてみると今年4/28、つまり311以降に「眞人堂」という出版サービス会社から丸山健二サイト「WEB 丸山健二」オープンした模様で、同時にブログ「丸山健二のブログ」とツイッターを開始したようだ。これから絶版になった氏の作品が電子出版で読めるようになる日も近い。
え? 丸山健二知らないの? では私が10年前に書いた日記をどうぞ。
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丸山健二がひさびさにエッセイを出していて狂喜。一冊は立ち読みで後半の重要部分を読み。もう一冊の『安曇野の白い庭』は思わず購入。丸山健二がガーデニングにハマっていて、『SINRA』にエッセイを連載しているなんて全然知らなかったのである。
20代前半のサラリーマン時代に丸山健二のエッセイにどんと背中を突かれてヤクザな芸術世界の住人になって以来、常にパルスを受けていた作家である。オレのためにエッセイを書いてくれているのではあるまいか、と思ったこともあったくらいだ。氏は自嘲気味に振り返っているけれどもバイクをぶんまわしていたころのエッセイ群も好きだったし、海外取材では『風の徒労の使者』がとても印象的な作品だった。文芸作品も重要なものはほとんど読んでいる。昔の短編なんかもすばらしいが、なんといっても『水の家族』あたりからの現代長篇のテーマ・構成・文体は圧倒的で、めくるめく文学世界に徹夜で読みふけったこともしばしばだ。
丸山健二のすばらしさは変わり続ける向上心だ。厳しさの中にある底知れぬ優しさだ。エッセイ『まだ見ぬ書き手へ』その後、どのような変化をするのかいささか心配(?)だったのだが、スキンヘッドでガーデニングときたもんだ! もっとも本人もこの趣味にはびっくりしているのだ。
「この私が庭なんぞにここまでのめり込むとは夢想だにしなかった。あまりの変わりように、周囲の人間よりも当人のほうが驚いているくらいだ。オフロード・バイクやラリー車をぶっ飛ばすような落ち着きのない生活にこそ、動物としての真の生き甲斐があるとうそぶいていた、およそ小説家らしくないがさつ者が、何をとちくるったのか、事もあろうに、今度は土いじりに精を出すようになった。これは文学を軽蔑した私が、ある日突然小説家になってしまってこととどこか似ている。人間なんてわからないものだ」(『安曇野の白い庭』1祖父の土地へ)
そういうオレも、森づくりなんぞにハマり込むとは夢にも思わなかったのだ。まあ、これはスケールの大きいガーデニングと言えないことはない? かな。桜の樹の下で。幸福な作家との出会い、再び。(2001.4.4)
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10年も経(た)てば木も大きくなる。氏はあれから庭づくりをずっと続けていて2011 年3月『草情花伝』(駿河台出版社)という写真文集を刊行。この本、デザインは杉浦康平だそうだ。
WEBから、YouTubeやUSTREAMのインタビュー・講演の映像も見れる。被災地見学から生まれた「首輪を外すとき」というメッセージが印象的だった。
時代がいま再び丸山健二を呼んでいるのだ。