砥部、岩屋寺、石鎚山、大川村


朝、砥部焼の窯元を見に行く。絵付けされた陶板。やや厚手の白磁に、呉須と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴。砥部は江戸時代「砥石」の産地として栄えた。その砥石くずを細かく砕いた土を使い磁器を作ったのが起源だという。道後温泉の浴室にもすばらしい陶板絵画があって独特の気品を醸し出している。

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讃岐七富士


愛車アクテイ(フルタイム4WD/走行距離16万km超)のオーナー車検に2日かかってしまった。マフラーの穴はパテで塞いで修理したのだが、今回はライトの角度と前輪のドライブシャフト・ブーツの破損で引っかかってしまった。修理工場に駆け込んだが部品が取り寄せで検査は翌日に持ち越しになり、再申請で1,200円余分にかかった。ともあれ香川ナンバーを取得。ナンバーは検査場の駐車場で、自分で取り外しして付け替える。

車検が通ってホッとしたのでドライブ。近くにある六ツ目山が美しい。標高317m、御厩富士(みまやふじ)とも呼ばれる。讃岐平野にはこのような円錐状の山が多い。これは過去の火山の痕跡だ。

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林道取材、西へ5.(四万十町現地取材2)


四国霊場 第37「岩本寺」の宿坊は田辺さんのお姉さんが仕切っておられるのであった。そのお姉さんと、朝食後に喫茶室でいろいろと話しをした。昨日の膳もお姉さんの計らいのようだった。僕は広間に立てかけてあった絵のことを訊いた。それはかなり大きな日本画で、青地に金で銀河のようなのたくった曲線がアクションペインティングのように置かれ、そこにグリッドを切って、部分に絵はがきのような風景画が描かれている。よく見るとそれは同じ地に描かれたもので、沈下橋の風景だった。ということは、この銀河は四万十川の暗喩なのだ。
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林道取材、西へ2.(淡路島から四国へ)


深夜に土砂降りとなり、テントがずぶ濡れになってしまう。夜が明ける前にテントを撤収して移動することにする。淡路島を下道でのんびり移動し鳴門海峡を橋で渡って四国に入る。深夜~明け方の幹線道路はどこでもトラックが多い。このようなトラッカーによって日本の生活と経済が支えられていることを実感するのである。

鳴門で写真や日記を整理する。徳島から香川へ向かう海岸の街道沿いに有名な活魚料理のメシ屋「B」。そこが開くまで山越えをして神社や寺を観たりする。ここには四国遍路88カ所の一番札所「霊山寺」がある。まだ早朝だというのここにもいるぞ「平成のジジババ様」。この寺の駐車場にはお遍路グッズを売るショップがあったりして興味深く観察したりする。う~む、しかし今の時代に「思い」のあるお遍路さんというのがどれほどいるのかなぁ。ヒマで小金のあるご老人には、四国遍路は最高の遊びなのかもしれず、今後「一大産業になるかもしれぬ」・・・などと考えてしまった。

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