大地の再生たんぼ、国立のジョナサンにて


雨の中、早朝から矢野さんたちの田んぼに案内される。噂には聞いていたが、源泉掛け流しの温泉みたいに、水を流しっ放しの田んぼなのだった。イネはもともと湿地帯の植物で、その原生環境に近づければ手をかけずともしっかり育つのだという。

まずは手前にマコモダケが育つ田んぼがあり、既存の水路からの流入はそこから始まる。

そこから数枚の、長方形型の田んぼが続いている。イネはピンと立って青々としており、いかにも元気そうである。

特徴としては畔が大きめで、かつとイネの間を大きく開けており、そこがやや深く掘ってある。いわば水中に「水脈溝」がぐるりと張り巡らされているのだ。畔の草は少し高めに刈り残してある。このほうがイネ間の風が連続してスムーズに流れる。外周の灌木雑草帯と畝の間も風通しを見ている。

管理で重要なのはまず水の流れを止めないこと。そして畔とイネの間の風通しを確保すること。この2つで陸生の雑草はかなり弱まる。この田んぼ、なんと初期の除草もほとんどしていないというのだ!

土の中の水比率が大きくなるように水管理する。それには常にイネの間を水がまんべんなくゆっくり流れ続ける環境がいい。山間部ではベタ流しすると水温が低くて育ちが悪くなる心配があるが、最初に水比率が大きい土の「湿地環境」を作ってしまえば、地熱が土の中に温かな水をこしらえるので、冷たい流入水はそれらと循環して生育にも問題はない。

水管理の不手際から除草が必要な場所も出てくるが、なるべく田んぼには入らずに竹竿にカーブソーを巻きつけた道具などで草を刈っていく。

イネは水管理の良し悪しを葉が黄変することですぐに表現する(水を止めればガスが停滞して呼吸が悪くなる)。また、その対策を講じたとき(水を解放し風を通す)回復も早い。

しかし、普通の自然農の田んぼはこんなことはまずしない。水温を上げたいし肥料を溜めたいので閉鎖水域にするし、除草にはうんざりするほど手をかけねばならず、悩まされる。もしこの方法が真理だとしたら・・・驚きである。無肥料・無除草でここまで育っているのだから。

この田んぼへ至る農道は、他所の田んぼから漏れた水が川に向かって横断し、ひどいぬかるみ道だったそうだ。そこで水切りを頻繁に入れて、今は車が入りやすくなっている、

ほとんど川のように水流ができた場所もある。すぐわきを流れる鶴川には鮎釣りの釣り人が往来する。

河岸にはオニグルミの木が並び、たくさんの実をつけている。また桑の木も豊富だ。かつて養蚕が盛んだったことを偲ばせる。

自然農の田んぼから溢れた水には・・・

メダカがいて、

シマドジョウもいる。

もう一つの離れた場所の田んぼも見学。こちらは水や草刈りの不備で育が悪い場所がみられる。が、そんな場所もあると参考になる。矢野さんがこの田んぼのメカニズムに気づいたのはそう古いことではない。きっかけや経緯を詳しく知りたいと思った。

昼食は棡原(ゆずりはら)の「ふるさと長寿館」に案内してもらった。かつて棡原は長寿村として有名だった。平野部が少なく山の急斜面で畑を耕す暮らしの中で、主食は麦や雑穀であり、肉や魚はほとんど摂らず、イモ類、豆類、野菜などを中心としたいわゆる粗食であった。

学術調査の結果、この村の老人の腸内細菌は善玉菌が優勢で、心臓病や脳卒中などの生活習慣病になる人は見られず、ガンで亡くなる人もほとんどなかったという。しかし次の世代は欧米化の食事の中で、生活習慣病になり、親よりも先に亡くなる「逆さ仏(さかさぼとけ)現象」が顕著になり、いつしか「日本一の長寿村」は消えてしまった。

この棡原長寿村のエピソードはずいぶん昔から聞いていたが、矢野さんのお膝元に近いとは知らなかった。そんなよすがを偲びつつ、きびご飯、蕎麦、小芋などのかつての長寿善「おふくろ定食」をごちそうになるのであった。

夜、「大地の再生」活動の立ち上げ時に画文を創起してくれたという矢野さんの旧友に会いに、国立まで出向く。ところが矢野さんが待ち合わせ場所のジョナサン(ファミレスチェーン店)の場所を勘違いして、自転車のYさんは遅れて到着。

名刺をお渡しすると、なんと僕のことをよく知っているという。Yさんは西多摩の森林ボランティアグループ「西多摩自然フォーラム」の古くからのメンバーだといい、過去にお会いしたこともあるというのだ。そして、日の出町の「きりんかん」の杉ちゃんとも仲が良いというではないか!

群馬の山暮らしを始める前に住んでいた東京西多摩んぼ日の出町に「きりんかん」という木工ショップがあり、その店主の杉ちゃん夫妻の活動を僕は応援していたのだ。ニューズレター「きりんかんだより」に寄稿した僕のイラスト原画は、今も店内に飾ってある。

【きりんかんだより】シリーズ

「大内さんは、有名な人ですよ」とYさんは目を細めて微笑し、僕はすかさず西多摩の重鎮たちの動向を訊いた。やはり、すでに鬼籍に入られた人たちがいた・・・。

田んぼだけでも一冊の本が書ける・・・何かが大きく動き始めている・・・のぞむところだ、この流れに身を委ねて、泳ぎきるしかない・・・。

そんなことを思い巡らせた1日だった。


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