シラカシの小枝を燃やす


Gomyoの観察会から戻ってまずはバロンの餌やり。コヤツはほんとに贅沢猫になってしまい、イリコなどを与えてもそっぽを向く。仕方なく肉などを与えるのだが、量が足りなくて不服らしく、私が料理している間も目線を投げかけながらときおり鳴き声を上げる。腹は十分ふくれているのに・・・。デブ猫にはしたくないので外へ。今夜はサトイモと厚揚げと豚肉の煮物。

今日はGomyoで焚き火と餅焼きを手伝った。焚き火で餅を焼くのは私以外だれも経験がない。まず燠炭を取り出して新たな場所をつくり、そこに網をのせて餅を焼くのであるが、その火加減を空気を送ったりして調整しなければならない。ひとりでこれをやっていると、文明は進化したがヒトの知恵は退化しているな・・・などと思う(笑)。

昔、囲炉裏があった頃はワタシという湾曲した金網を使い、燠炭で餅を焼いた。炎に直接かざしたら餅はススで黒こげになってしまうからだ。囲炉裏でできる燠炭を火箸で掘り出してワタシの下に寄せ、その上で餅を焼く。燠炭で焦げないように、返しながら上手に・・・。その役割は子どもたちであったはずだ。

前回はGomyoでシラカシの枝をもらってきたが、今日はさらに細い小枝を集めてきた。葉がだいぶ枯れてきて手でしごくと枝だけになる。それを束ねて車の後ろに積んで持ち帰ったのだ。こんなものどうするのか? と奇異の目で見られたことだろう。これを囲炉裏で燃やすのが楽しいのだ。

ここまで枝が細いと、乾燥させなくてもよく燃える。パチパチと爆ぜる音とともに、シラカシの爽やかな香りがする。薪を燃やして「爽やかな香り」? と訝るかもしれないけれど、本当なのである。かすかではあるけれど。

群馬の山暮らしでは、住んでいた古民家の防風林がシラカシで、裏には同じく大木があった。だから枝をよく囲炉裏で燃やしていた。その時間が好きだった。もちろん火保ちは悪いので、次々と小枝をのせねばならないが、薪を燃やすことそのものを、炎の光と音と匂いを楽しむのだから、それでいいのである。

ツイッターに動画をアップしてみたが、音と光はともかく、匂いは伝わらない。囲炉裏という空間だからこそ楽しめる贅沢な時間である。

ところで、炭火で焼いた餅というものは感動的に美味しいのをご存知だろうか? とくに表面が厚く乾いた餅は、きつね色に焼けた部分がぽってりと膨らんで、そのカリッとした感じと中の絹のような滑らかさが好対照になって舌を喜ばせる。さらに焼いた餅を雑煮に入れるとその焼けた表がしみせん(ぬれ煎餅)のようになってまた美味しい。

シラカシを焚きながら、囲炉裏で初めて食べた雑煮の感動を思い出していた。

お雑煮の味

Gomyo倶楽部2018/1/7活動報告


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