運慶、私の最も好きな仏師・彫刻家のひとりである。小学校のとき教科書の写真で東大寺南大門の仁王像を見て以来のファンだ。修学旅行で奈良に行き、本物にさらに感激し、運慶の凄さに対する思いは確信となった。他の作品を見たい・・・しかし運慶の作品は少なく、地方に散らばっており、奈良でも他の像は特別開扉のときしか見れないのだった。
チャンスが訪れたのは 1994(平成6)年、35歳のとき。大学時代の友人の結婚式のため九州へ行く途上、奈良国立博物館で「運慶・快慶とその弟子たち:特別展」を見た。円成寺の「大日如来座像」と高野山霊宝館の「八大童子」六躯が来ていた。
その後、2006年には伊豆の願成就院で毘沙門天ほか数躯の運慶作を、そして高松に越してから、興福寺北円堂の特別開扉で無著・世親像を、遂に見ることができた。これで運慶の傑作といわれる仏像は大方見たはずだ。
だが今年、驚くようなニュースが飛び込んできた。運慶の作品が集結する展覧会が、秋に東京で行なわれるというのだ。運慶作の仏像はわずか31体といわれているが、そのうち22体が集まるという。どうやら興福寺の改修や国宝館のリニューアルオープンとも関係があるのか、ともあれ過去に例がない大規模な展覧会をやるのだ。
これだけの展覧会だから、大阪にも巡回するであろう。そこで見ようと考えた。が、どうやら東京の一回きりで終わるらしかった。心は乱れた。本業の仕事は遅れに遅れ、経済的にも困窮している。とても東京に行けるような状況ではなかった。
ところが・・・
運慶展の最終日は男木島石垣ワークショップの翌日。これは運慶が「来い!」という符号を与えてくれたような気がした。飛行機のチケットを調べてみると、往復早割の格安チケットが、26日の羽田行き第一便に1枚だけ残っていたのだ。そして、ホテルはT横の会員無料券が1枚残してあった。かなり迷ったが、今回のワークショップのギャラを運慶展の旅費に充てる・・・という論理で自分を納得させた。
というわけで1泊2日の飛行機旅で東京へ。
しかし、これはどう考えても前代未聞の展覧会である。展示されるのは運慶だけでなく父の康慶や息子の作品も来るのだが、その数70体のほとんどが国宝と重要文化財なのだ。さすがにあの仁王像は来なかったが、大日如来と八大童子、毘沙門天に無著・世親、これらをひとつの会場で見れるという。こんな機会はもう私の生涯に2度と訪れまい。
結果を先に言うと、行って本当に良かった。入場するといきなり大日如来座像が出迎えてくれ、その見せ方がすばらしかった。奈良のときは台座が高くて仏像を拝むような感じだったが、今回は作品を彫刻として鑑賞できるよう低く、しかもぐるりと回って見れるようになっていた。
最初、大日如来の左の頬を見た時にゾクリときた。八大童子も伊豆の毘沙門天も無著・世親も同じく360度から鑑賞できるように展示され、ライティングも不要な影ができないよう完璧に配慮されていた。
八大童子や毘沙門天の顔は美しいが、それをゆっくり角度を変えながら鑑賞できるのはまったく恍惚とするような体験だった。また肉体や衣のひだなどもすばらしい。台座もじゅうぶん鑑賞できた。
この運慶展の感動は、とてもこのブログなどでは描ききれないが、最も打たれたのは無著・世親像を囲むように配置された四天王像とその空間である。この四天王は作者不詳の国宝だが、現在では運慶が手掛けたとする説が有力となっている。
この像がまったく凄いのだ。とても800年以上前の作品とは思われない。まるで抽象彫刻のような、きわめて現代的な空間性を持っていて圧倒された。そうして同じ手があの八大童子の6体を彫ったのかと思うと、やはり運慶はとてつもない仏師だ、と思うのである。
上野は子供の頃から東京の玄関口、アメ横でバイトもよくやったので懐かしい。立ち食い蕎麦を食べてから坂を上って公園へ。
上野公園はちょうどイチョウの黄葉のピークだった。
10:30会場着、がこの行列。「40分待ち」の表示が・・・。
でも実際は15分くらいで入れた。会場は広くて余裕があるぶん人は動く。
出入り自由なので都合3回見た。フロアーでは南大門の仁王像の修理ドキュメントのビデオが見れて、これも運慶からのプレゼントだと思った。
行きの飛行機は非常出口の窓際にしてもらった。なのでアテンダントの美形なお姉さんと向き合って離陸w。よく晴れていて、瀬戸内の海が美しかった。
図録(3000円)はすばらしいものだったが、買わなかった。立体としての感動を2次元に還元されたくなかったからだ。数年経ったら手に入れるかもしれない。今は紙で見たくない。いや、見てはいけない。
その分、「東京とんかつ」食ってきましたので、そのレポはまた後で(笑)。