群馬県が日本に誇るものは温泉、尾瀬、赤城や榛名、いろいろあるけれど、日本三大「古墳群」というのをご存知だろうか? 一番はやっぱり大阪~大和地方、次いで岡山、そして群馬なのである。
とくに榛名山東南麓には5~6世紀に東日本で有数の精力を誇った王の本拠地があった。ここには三つの大きな前方後円墳があり、王が政治や祭祀を行った館がある。榛名の噴火で埋もれていたために、地表の感じが良好に残っていて、当時の田作りの状況まで詳細な情報が発掘されたのである(新幹線の工事中に発見された)。
その田んぼは畳2畳という極めて小さい畝に区切られた碁盤の目のようなものだった。これは火山灰土という悪条件に対応した水管理の技術とみられている。水田は、水を張るために面が水平でなければならない。機械のなかった昔は、小区画のほうが維持管理がしやすかったのであろうし、水温を上げるためにも有利だったのだろう。
当時の形に再現された八幡塚古墳・埴輪が再現され公園になっていた。
もともと関東平野は火山灰地帯で農業に適さない。が、利根川の氾濫が沃野をもたらした。その暴れる水と土を制御して、稲作は行われた。米は保存がきき、栄養価が高く、生産性が高い(米作地は最も肥沃な小麦畑よりもはるかに多量の食物を産する)。なにより調理にも便利で美味しかった。
稲という作物自体が、雨と日照に恵まれた日本によく合った。連作しても土地が疲弊しないのは「水」を使うからだ。その水には森の栄養がたっぷり含まれている。水を介して生き物たちが豊かに集う。それらがまた肥沃な水土を作った。
埴輪の中には、ニワトリともハクチョウともつかないデフォルメされた鳥の像があった。古代、ツルたちもここに舞い降りたのだろうか。