天端の裏込め石充填が終わる。石垣のおかげで下のスペースが驚くほど広くなった。家が一棟建てられるほどの敷地が生まれた。しかし若干の石と多量の土は残った。それで新たな畑を造成することもできよう。石垣とは「土を流さない」ための処理であると同時に、「新たな土地を造る」作業でもある。土と石を選り分け、それを工夫して積むことで、有用地を造成するというわけだ。
天端の裏込め石の上に土をかぶせていく最終作業。
ようやく足場を取る日が来た。実は、この石垣積みの期間に建築の本をずっと読んでいた。『磯崎新の都庁~戦後最大のコンペ』平松剛著(文芸春秋2008)である。現代建築の最前線をとらえた面白い本だった。その建築芸術の最先端を読みながら、私は石垣という最も原始的な、建築の原初を体現していたわけだ。
しかし、この石垣がその表情を見せるにつれ、何かコンクリート打ち放しの現代建築のような力強い風貌を感じていた。なんという迫力、存在感。まぎれもなく立体作品の強靭さが、石垣から迫ってくるではないか。いつまで見ていても飽きないのだ。
「その人以上の石垣はできない」という言葉があるそうだ。妙なる言葉であり恐ろしい言葉でもある。これも、私の作品ということになるのだろうか。
この石垣積みで、新たに購入したものはない。人力以外に費用はゼロだ。石と土、そして廃材のパイプと角材だけ。なんとすばらしいコストパフフォーマンスであることよ。そしていま、この技術が日本の山村から消え去ろうとしている。
この一ヶ月で私の体重は5kg減った。
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