今年最初の集落支援員活動。午後一番で区長さん宅を訪れる。
昼食後の昼寝中を起こしてしまい、申し訳なかった。昨日、一昨日と2日かけて薪割り(油圧の機械による)をしたそうで、今日は「小正月」でもあり、作業休みの日にしたということだった。
薪積み場を見せてもらう。カンバの類の枝がある部位は油圧でも割れないので苦労するとのこと。ミネバリだろうか?(別名「斧折れカンバ」と呼ばれる)
炭コタツでたくあんや干し芋をいただきながら、話を聞く。
今日は国土地理院の2万5千分の1を持参した。さらに持倉のところを2倍ほどに拡大してコピーし、畑マークの位置を色鉛筆で塗っておいた。畑や山林の位置を確認したかったからで、山村では飛び地に畑があることが少なくない。
以前から聞いていた「御そうさま」(鎌倉時代に75人の僧侶が持倉~杖立峠間で大雪で遭難した)は、春(旧暦3/15)と秋(旧暦9/15)に「御そうさまの縁日」があり、集落総出でお堂(遭難場所に木造のお堂が建てられている)まで登り、お供えをしてお経を皆で唱えていた。
そのお経は巻物に書かれていて、持倉のかなり前の世代の方が、創作されたものであろうとのこと。奥様がその巻物を押し入れから出して、私たちに見せてくれた。それを読むと、この僧侶たちの目的やいわれが解るようになっている。
「御そうさまの縁日」は15年ほど前に途絶えてしまった。それは車道がないからで、御そうさまのお堂までは徒歩でかなりの急斜面を歩いて行かねばならないからだ。
持倉はスーパー林道に抜ける車道がなく、区長さんたちはお僧様のお堂を経由してスーパー林道まで抜けれる車道(軽トラ一台分通れる砂利道でもいい)を造ってくれるよう町役場に陳情書を書いたこともあるというが、まだ実現していない。
区長さん宅の離れの畑を案内してもらった。薪を採りにいく山林も近くにある。その周辺は、先祖が最初に持倉で住み始めた場所だという。今の場所に移ったのは、陽当たりが悪いからだろうという。
一番上の写真と比べてみるとその違いが解る。たとえ標高が低くても、陽当たりの悪い場所は雪が融けず寒い。まして沢沿いの日陰になると最悪である。だが、沢沿いに家を構える人々は、最も陽当たりの良い場所を畑にあてがう。だから、家はよけい寒くならざるを得ない。陽当たりが悪いと麦を作れず、ソバやヒエなどの雑穀だけになってしまうのだ。
雑木の梢にヤドリギが何個か着いていた。こちらでは「サロウガサ」と呼ぶそうで、ヤマドリがその実をついばみに来るのを猟師が狙って撃つのだそうだ。
帰り道、切り土の岸壁に置かれた蜂洞をみつける。
旧アトリエに戻って鍋を準備しつつ、レポートを打つ。「御そうさま」のお堂を経由してスーパー林道まで、四万十式作業道を入れるといいのではないだろうか、などと考える。破砕帯なので礫が多く、尾根を使えば簡単に道が入ると思う。
白菜や餅を持参した。お湯割りを飲みつつたらふく鍋を食べて、〆は焼きもちを投入なのだ。囲炉裏はツーバーナー状態でひとつ保温中である。