支援員の帰りは上野村から南牧村・下仁田へ抜けた。南牧村は「石垣の村」といっていいほど石垣の多い集落が点在する。南牧川の本流沿いでは河原から上げた若干丸みをおびた石を使った石が見え始める。対岸の細い集落道には「おおっ」と唸ってしまうような石組みを見つけた。
犬走りと上に登る通路が切られている石垣である。
大きな要石(かなめいし)は飛び出している。もともとここに動かぬ礎石なのか? ここにはめ込んだのか?
上には墓があるようだ。
登り始め。隅の処理は石を微妙な井桁にして崩れを防ぐ。
大小の石のリズムが見ていて飽きない。不定形の野石積みだが、最も安定する「六ツ巻き(一つの石を六個の石が囲むこと)」になっているのが解る。
しばらく下ると見知石(けんちいし)を積む工事をしていた。公共工事では「空積み」は許可されないので裏にコンクリートを練り込んで固めてしまう方式である。だから石垣というよりは重力擁壁に近い。
コンクリートブロックではなく自然石の割石を使っているだけ救いがあるか・・・。
それにしても、このまま日本の石垣技術は消えてしまうのだろうか? 南牧村では平成19年台風第9号のとき、古い石垣は崩れず、コンクリートの練り積み擁壁が根こそぎ崩れた例が多かったという。
空積みは水の抜けがいいので豪雨に強く、部分が崩れても補修再生が容易だ。ところがコンクリートで一体化してしまうと大規模な崩壊になる。
野石の空積みは構造計算ができないので使われなくなった。しかし持倉のSさんは現役の石積み職人で、河川の中の水勢を弱める空積みの仕事が1年に1回出るのだそうだ。
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▼含蓄に富む井伏鱒二の随筆「石垣」より。
・・橋のたもとのところで一人の老人が石垣の崩れをなおしていた。同じ部落の石工屋の隠居である。石をすわりのいいように工夫しながら据えてみて、また向きを変えて据え直してみて、また向きを変えて据えなおしている。
「案外、骨の折れる仕事ですなぁ」と私が驚くと「いやぁどうも」と石工屋の隠居がいった。「石垣をとるにも、上手と下手があるでしょう、どんなのが上手というのですか」とたずねると、
「そりゃ、出来上がりが早くて、みる目に調子よくて、頑丈に仕上げることですがな」と隠居は答えた。
隠居の説明によると、「みる目に調子よい」石垣というものは、必ずしも石の表面を滑らかに削ってあるものとは限らない。また石と石との接触部分に隙間がないように仕上げてあるものが調子がよいとはかぎらない。
石垣は古ければ古いほど滋味があるが、どういうものか諸所方々のお城の石垣には、滋味の感じられるものは割合いに少ないような気持ちがする。これは「みてくれ」があるからかもわからない。
たまたま見ず知らずの村に出かけたとき、何ともいえない調子のよい石垣をみることがある。ひっそりとしているようで、朝霧にまだ濡れているようにも見え、いつかどこかでこの石垣はみたことがあるような気持もする。じっくりとした風采の古めかしい石垣である。
こういう石垣はほんの通りすがりにみるだけでも、いつまでも忘れられないものだと、石工屋の隠居は言った。
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『ドゥーパ!』連載、次号は石垣です。