以前、河原でキャンプしたとき、東京から来た客人が「焚き火で何でもできるんですねぇ」と感心していた。それを、私は家の中でもやっているわけだ。
火鉢を見ると思い出すのは母方の祖父の家で育てられたときの記憶である。カマドや火鉢を使っていた最後の時代に私は遭遇することができた。
祖父は食パンを大事そうに火鉢でこんがり焼き、バターの銀紙をはいで焼き目の余熱で上手に塗るのだった。また、近くの高校の庭にあるイチョウの銀杏を拾ってきては、火鉢で焼いて食べていた。
叔母たちはそんなことが「貧乏臭くて嫌だった」と述懐するのだが、私はそんなことが大好きな少年だった。