いろいろ見ておきたいものがあって、鎌倉へ行った。朝4時にアトリエを出発。鶴岡八幡宮に車を止め、参拝して参道を歩き始めるが、鎌倉彫のいい店をみつけてしばし鑑賞。鎌倉彫というと、素人っぽい花のレリーフを連想するが、この店のものはデザインも良く、彫りに雄渾な感じがあって惹かれた。店の人の話では、作家のものではなく、店のデザイナーが図案を決め、職人に分業で作らせているという。材は北海道のカツラ、漆は国産だそうだ。記念に小さな手鏡を買った。
鎌倉駅から江の電で長谷までいき、長谷寺と鎌倉の大仏をみる。長谷寺の周辺にも古建築がいくつかあって面白い。長谷寺は花が豊富で手入れの行き届いた庭園と、海が望める展望、斜面の敷地をうまく利用した建築、そして日本最大という木造の観音像と、たっぷり見応えがある。パンフレットのデザインも美しく、これなら拝観料300円は安すぎると思ったほどだ。
鎌倉の大仏は穏やかな優しい表情が良いと思った。内部に入ることもでき、鋳造の雰囲気を触って確かめることもできる。面白いしかけである。不思議なことがあった。なぜか一匹のルリタテハが僕にまとわりつくように飛んでいる。デジカメで写真を撮ろうと接写しても逃げない。タテハチョウの仲間は成虫で冬越しするものが多く、春先の暖かな日によく出てくる。が、このチョウは羽がほとんど痛んでおらずビロード状の光沢さえあるのが不思議だった。
ひょっとしたら、羽化したてなのかもしれなかった。本州ではルリタテハは年三回の発生で、早くて6月頃だが、いま温暖化のせいで昆虫の発生サイクルは変化しており、分布も北上しているものが多い。都内を車で走っていると3月にしては異常に暑いと感じた。しかし、3月が第一化とするなら、南西諸島並みということになる。
長谷から「大仏ハイキングコース」を歩いて源氏公園から化粧坂切り通しを観察して駐車場へ戻った。コースは尾根路で一部に人工林もみられたが、いい感じで広葉樹が入り込んでいる。これは人為的な手入れによるものではないように思う。おそらく、以前の台風で風害の穴が開き、そこに広葉樹が侵入。折れた木は景観上みっともないので伐採、というプロセスを経て、現在があるのだ。残された立ち木をみるといい木がそろっていないし、ツル植物が繁茂しているのもその証拠だ。だいいち、普通の林家なら(もしくは森林組合の施業なら)、間伐時には広葉樹をことごとく伐ってしまう。
いま、全国にこんな風雪害による混交林が増え始めている。それは経済林としてはダメだけれども、環境林としては悪くない。しかし、だからといって「間伐しなくても人工林は育つ」などという論理はいただけない。それは下刈りの苦労を知らない人の台詞である。下刈りを抜けて後は「うまく伐るだけ」で、すばらしい山に導くことができるのに、自然の間伐(風雪害と枯死による)を待つなどどは、なんと勿体ない、不経済なやりかただろう。それに、条件的に自然間伐が入らない山もたくさんある。そんな山をいつまでも放置していたらとんでもないことになる。
ともあれ、この鎌倉の山の写真をみると「植林せずとも陰樹は生えてくる」ということがわかるだろう(これは日本全国の山に普通に見られる現象である)。空間が開いて陽樹が生えても、やがて森のてっぺんをスギ・ヒノキの葉がふさいで林内を暗くしていく。植物の種(しゅ)の生息に「光量」の条件は非常に重要なものである。林内が暗くなれば陽樹は枯れて、それまで待機していた陰樹が一気に大きくなる。その種(たね)は地中に保存されていることもあれば、風や動物が運ぶこともある。そういえば鎌倉のハイキングコースでは樹上にリスをみかけた。リスもドングリを運ぶ習性がある。
ところで、こんな風雪害後の山を「荒れている」と称して、せっかく生えてきた広葉樹を伐ってしまう人工林系のボランテイアグループがいまだにいる(それを指導しているのが有名林家だったりするのだ!)。また、「間伐しても植林しなければ潜在植生の木は生えてこない」と全国に触れ回っている学者もいる。一方で生えてくる木を生えないと言って植林を煽り、一方でせっかく生えてきた木を伐ってしまう・・・。いったい、いつまでこんなバカなことを繰り返すつもりだろう。
帰りは江ノ島をみて相模川を渡り、厚木を通って北上。周囲は工場地帯でトラックの渋滞に巻き込まれる。相模平野には自然はほとんど残っていないようにみえる。完全に基盤整備された工場のような農地、アスファルトとコンクリートで覆われた宅地と工場と郊外店舗。小川はコンクリート3面張り。緑地は公園や庭にあるだけ。もはや自然は「山」にしか残っていない。だからこそ、人工林を知ることが大切なのだ。これが解れば全てが解る・・・そんなパーツが人工林問題には揃っているからである。