山村の未来


Y先生宅へポスターの見本とデータを届け、藤岡の出力センターで入校のチェック。前橋で昼食後、帰宅。夕刻、Y先生の車で3人で鬼石町公民館へ、藤岡市長との「地区別座談会」へ行く。鬼石町と藤岡市がに合併(今年1月)後はじめて持たれる市長との会合で、H集落からは区長をはじめ4名が出席した。

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参加者は藤岡の各地区で行なわれたときの倍という盛況ぶり。が、亀田の世界戦中継と時間が重なったせいか、若い人の参加は皆無でご老人ばかり。そして質疑応答コーナーでは「あそこの道を早く直してくれ」というような陳情が続く。合併して鬼石は取り残されてしまうのでは? という皆の危機感が伝わってくる。

市長との会合に向かう前に、鬼石町の町議会議員であるIさん宅に立ち寄り、ご自身発行のニューズレターを見せていただいた。予算についての記述が目をひいた。かのガラス建築「鬼石町多目的ホール」の建設費が6億5千万円。さらにその備品費が約1千万円。藤岡市の「八ツ場ダム建設負担金」が9億円。合併しても人口10万人に満たないこの市が抱える金額にしてはあまりにも巨額すぎないか?

そのくせ山村での道普請や集会所の補修には微々たる補助しか出ず、住民のボランティアにまかされているのである。まあ、自分の住む場所の補修くらい自分たちでやるのは当たり前なのだが、今はその住人の数と力があまりにも少ないのだ。

「あと10年もしたら、ここも、オオウチさんたちだけになっちまうなぁ」というのが、道普請のとき集落の年寄りたちが漏らす言葉である。息子たちの世代は町に家をつくってしまい、もう二度とここに住むことはない。じいさんばあさんがいなくなったら、山村に残るのは変わり者のIターン組だけ・・・。どこでも同じようなものだろう。

一方で団塊の世代が大量に定年を迎え、山村への入植者も増えるという見込みもある。が、僕はそれらの人たちは、体力や気力の面で期待できないような気がする。若い人が残るには職が要る。その解決策として、造らなくてもダム建設などで土建業の仕事を確保するというのでは、あまりにも悲しい。

環境のコアとしての山河を見放すとき、日本はまちがいなく破滅に向かう。その守り手として、山河を心底愛せる住人が必要なのだ。美しい山村を再生するために、石垣の補修、休耕地や水路周辺の草刈り、道の補修、古民家の改修などを、公共事業として再構成することはできないだろうか? 指導者の元気な、残り数年のうちに。


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