スギとバロン


朝、ゴミ出しを急ぐ。この地区は朝8時に清掃車が回収にやってくるので朝寝坊できない。今日は年内の「ビン・缶・ペットボトル類」の最終日なのだ。だいぶ溜めてしまった。量があるので車に積んだ。車の温度計を見るとマイナス2度。天気がいい。そのまま朝日を浴びながら景色のいい農道をプチドライブした。

バロンがおかわりをねだってうるさいので外に放り出す。その後を私が追いかけるまねをすると、猛スピードで庭を走り始める。2階に上がり、窓の景色を眺めながら台所の片付けをしていると、木登りをして鳥を追いたてているバロンの影が見えた。

写真家の岩合光昭が、猫が魅力的なのは「野生」が存在しているからだ・・・といようなことを言っていたが、私も東京に住んでいた頃からそう思っていた。これは山暮らしをしていた10年前に書いた文章である。

動物たちと供にいる暮らしは楽しい。山に暮らし始めてだけではない。都会に住んでいるときも、僕は常にそれを感じていたものだ。野良猫といつも付き合い、公園池でシベリアから渡ってきた水鳥を観ていた。彼らとは、意思が通じ合えると思っている。

都会の中にも野生がいる。それが猫や水鳥たちなのである。

しかし、やんちゃな猫を飼うということはそのリスクもあるわけで、低温乾燥のお高いスギの上にゲロを吐かれたり、ツメで傷だらけにされたりもする。このスギは、やがて雑巾掛けというエージングによってどのような変化を見せていくのか?それもまたバロンと共に、楽しみにつき合っている。

夜、囲炉裏暖炉を焚いて、フロアーライトに反射するスギの木目を見てハッと思った。こんな美しく複雑な木目を見せる木が他の国に存在するだろうか? それを素足で歩く床に使う文化があるだろうか?

このような節だらけの木をフローリングに使えるようになったのは、実は最近のことなのである。ごく薄く削れる超仕上げ鉋や、接合部や反り止めの溝を彫れる機械のおかげと、精巧な埋め木によって死節穴を隠すことができるようになったからだ。また機械乾燥機が発達したこともある。スギは非常に乾燥しにくい木なのだ。

それまでは節穴が空いてしまったり、接合部があまくてすき間ができたり床鳴りがしたり、床材には使いにくかった。だいいちスギ自体が今ほど豊富ではなく、一面にスギを張るということは考えられなかった。

言い換えれば、このような「スギの木目や節を活かしたデザイン」の家は、まだ発展途上であり、工務店や建築家でさえその新たな切り口に気付いていないのかもしれない。

無垢のスギは温かで、嫌な臭いがない。もちろん建てたばかりの頃は、スギのいい匂いを発していたが、やがて落ち着いてくる。そしていま表面には微生物、常在菌なども定着してきているはずで、部屋の中で漬け物がよくできるようになってきた。

ビニールクロスと塗装をかけたフローリングは、確かに水をはじいて汚れにくく、キズにも強いが、常に化学物質の不快な臭いを発しており、湿気の多い日本ではカビを誘う(そのために機械による換気が欠かせない)。それは飼い猫の健康のためにもよくないはずである。

バロンはよくスギ床の日だまりで眠りこけているw。


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