上野原紀行


今年最初の東北取材旅だったが、昨日スタッフのIさんから連絡あり、事務所のある山梨県上野原に来るようにとの指示。講座や現場仕事で全国を飛び回る矢野さんだが、その拠点(事務所・資材置き場・農地・自宅)は山梨にある。というわけで、始発のマリンライナーで岡山、新幹線で新横浜、さらに横浜線で八王子、そして中央本線で上野原へ。よく晴れて、新幹線からすっきりと富士山が見えた。

マニュアルづくりが遅れまくっているので車内で仕事(汗;)。

昨年は4月の屋久島から始まって12月の仙台まで20回以上の取材をし、実に80本超のブログ記事を書いているが、実は拠点の上野原に行くのは初めて。相模湖周辺は森づくりフォーラム主催の「さがみの森」でに何度か訪れているが、上野原駅に降り立ったのは石窯取材のとき以来で18年ぶりだ。駅はすっかり様変わりしていた。

事務所に常駐しているHさんが車で迎えに来てくれ、資材置き場の広場で矢野さんと奥様をはじめスタッフの皆と合流する。ちょうど休憩時間でコーヒーと餡のせよもぎ餅をいただいた。資材や道具類は大量にあり、これまでの活動の歴史の凄みが漂っている。

興味津々で資材置き場や事務所を眺めていると、矢野さんが事務所脇の竹やぶを案内してくれた。

この斜面は下部がコンクリートでがちがちに固められているために、ひどい竹やぶになっていたそうだが、沢までの小道を通したところ、そこに風が抜けるようになり、ヤブ化が沈静して明るくなり、今では小道にシャガなどの草本が群生し、実生のカエデなど樹木が入り込むまでになっている。

伐っても伐っても生えてくる、不毛な荒廃竹林管理の堂々巡りが全国の森林ボランティアで行われているが、これがもし一本の風みちで解決できるとしたら(もちろん水切りなども考慮されている)、これだけでも革命だろう。こちらもぜひともマニュアル化しなければなるまい。

今日の午後は福島の三春(福聚寺)の現場に移動すると聞いていたが、それまでミーティングがあるとのことで、私も同席させていただいた。

その後、スタッフが常駐しているという古民家を見学。養蚕が盛んだった頃の名残りがその形状にあってなかなか立派な家。しかし集落全体は家が立て込んでいて、田舎のわりには樹木や庭が少ないように思われた。

ここはもうひとつの資材置き場。土などを保管したり果樹を育てたりしている。クワの木が放置されて大樹化し、そのクワの実からジャムを作ったりしているそうだ。また山野草の採集地としても活用しており、ここから造園現場に移送されるものもある。

他に田畑も借りているそうだが、忙しくて管理がままならないという。矢野さんは今後この拠点にもウェイトを置いて発展させていきたいと考えている。地域からの信頼も高まっており、環境教育や流域全体を包含するような展開もしたいという。つまりこれまでのように全国各地の現場に張り付く回数が減るわけで、そのぶん各地のスタッフはに新たな責務が渡される。

今日のミーティングにはそのような変革の重みが流れていた。先発隊は明るいうちに三春へ立ち、私と事務局のHさんは矢野さんの仕事を待って、暗くなってなってから出発。

高尾山のトンネルで反対運動でもめた圏央道が開通し、中央道から東北道へのアクセスは格段に速くなった。複雑な心境ではあるが・・・。


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