石積みと人力の土木工事


アトリエのバルコニーから見える男木島。今日は海が美しい。ふだんはサクラの木が葉で覆い隠してしまうけれど、冬にはこのように見ることができる。今日は島の人たちが石垣の続きを積んでいるはずなのだ。様子を見に、手伝いに行きたい気もするが、こちらも仕事が詰まっていている。それに、島の人たちだけで試行錯誤する時間も貴重かもしれない。

あの美しい石垣は観光資源でもあるだろう。だから行政の支援もあってしかるべきなのだが、災害復旧などで公共事業に組み込まれるとコンクリートを使わざるを得ない。野石の空積みでは構造計算や数量計算ができないからだ。

だから、石垣を守るには島の人たちの意識と行動力が重要なのである。しかしこのような問題は男木島だけではあるまい。全国に石垣の集落は多数ある。それがひとつまた一つと消えていくのは本当に残念なことである。

石垣再生に関するテキストとして、拙著『山で暮らす愉しみと基本の技術』(農文協2009/6)『楽しい里山暮らし実践術』(学研プラス2013/5)はよく読まれているようで、各地から、本を読んで「石垣をつくった」「再生した」という情報は舞い込んでくる。

徳島の 吉野川市美郷の高開(たかがい)地区では東京工業大学の先生が主導して「石垣学校」が行なわれている。高開では以前から石積みのライトアップやイベントを開いていて、私も群馬在住時代の2009年に取材に訪れたことがある。

2009年1月13日 高開の石垣

高開では石垣名人が健在で、伝承が途切れていないようである。また町おこしの一貫として石垣の景観を守ろうとしている。男木島にはそれがない。だから、今回のワークショップを契機に石垣再生が成功したら、それはそれで凄いことなのだ。

ワークショップ主催のKさんが今回のまとめをチェックしてほしいとテキストを送ってきたので、私は以下のように再構成し、返送した。

崩れた石垣の修復の仕方(2017、12/2)

1)根石の代わりになるしっかりした石のところまで、下部の石を外す。崩壊きわの両サイドは石が膨らんだり乱れたりしているはずなので、それらの石を外すか、バールなどで元の位置に戻しておく。除いた土や石は、修復する場所の近くから大きな石、小さめな石、小石、土、というように分別して置く。

2)積み石のうしろ側の土と、土の中の根や枝を取り除く。上部の草などは根ごと外しておく。この土は埋め戻しに使うが、中の草や根は不要なので捨てる。積み石の控え(奥行き)と同じ長さに裏込め石が入ると考え、土を掘っておく。

3)厚み12ミリ、幅6センチぐらいで、長さ2メートルぐらいの板を、修復するところの両側に、既存の石垣と同じ傾斜に固定し、そこに2本の水糸を平行に張る。これを丁張(ちょうはり)といい、石積みの縦横のツラの基準線として使う。したがって、積みが高くなれば水糸も上に移動させる。

4)下部は大きい石から積む。3点でカチッと石が納まること、ツラよりも控えを長くとること、積んだ石の上面が奥に傾斜していること。その条件すべて満たしつつ、丁張のラインにきちんと沿っていることが重要。

5)積み石の裏側に飼い石を入れる。後ろからハンマーで積み石と飼い石が固定するようにたたく。積み石が動くほどたたかない。

6)一段積んだら、積み石の裏側に裏込め石を入れる。石がなければ割り瓦で代用するが、すき間が大きくならないよう気をつける。とくに大きな石の上に詰めるときは、ばらまく前に縦に刺すように詰めていく。鉄棒などで突いてもよい。裏込め石は奥に向かって石が小さくなる方が望ましい。上部になると裏込め石のスペースが広がって足りなくなることが多いので、積み石の控え分を詰めたら残りは土をかぶせる。埋め戻し土は足でよく踏んで一段ごとに締め固めること。

7)一番上には、あれば、天端石(平たくて大きな石)を載せる。なければ裏込め石の上を土で覆い、多年生の植物を移植しておく。植物が活着すると土の流出を防いでくれる。ただし大きくなり過ぎないよう、定期的に草刈りを行なう。

8)積み終えたとき正面から見て石のすき間が目立つときは、そこに合うサイズの石を詰めておく。落ちない形の小石さがし、ハンマーで軽くたたいて入れてもいい。

また、今後の追加事項として、

丁張は上のほうに行くと板がブレやすくなるので、添付図のように天端に杭を打って固定するといいです。

と絵を添付した。

石垣はその手のプロ、すなわち石工(いしく、せっこう)でなければ積めないというものでは決してない。入植して土地を開拓する過程で出た石を集めておき、人々は石垣を作った。そうすることで平坦な土地ができ、開墾しやすい田畑ができる。石の多い火山国の、しかも急峻な地形の日本では、石垣は必然的に造られるものなのだ。

もちろん、大型の石垣、高い石垣は素人には不可能に思える。しかし、重機のない時代、それらを積んだ先人たちがいたのだ。私は石垣のテキストが含まれる2冊の本を書く過程で、そのような大型の石を動かす人力の土木工事がどのように行なわれていたのかいろいろ調べてみた。

基本的にはテコ、コロ、モッコ、なのである。高松城の石垣修復現場の見学会に行ったことがあるが、現代も基本的にはまったく同じである。ただ、人力がクレーンに変わっただけなのだ。男木島では車が入れないのでこの重機が使えない。だから人力によって、テコ、コロ、モッコ、あるいは滑車などを、効果的に使っていくしかない(※)。

2014年2月15日 高松城石垣修復見学会

実際、私が群馬の山で暮らしていたときは、車が横付けできない古民家に住んでいたので、現実的にこれらの作業に直面したわけである。それがよい学びになった。石垣を積むということは、ただ石垣の構造を理解してセオリー通りに積むというだけでなく、そのような身体作業の原理も学ぶ必要があるのだ。

とくに、日常の作業経験を持たない今の若い人たちは、ゼロからこれらを体感することになるだろう。しかし、そう考えると石垣積みには実に様々な教えが込められていて興味が尽きない。


※テコ、担ぎ、コロ、滑車で重量物を動かすコツについては『楽しい山里暮らし実践術』のPART6「山里暮らしを助ける道具&修理術」に4ページにわたって図説しています。


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