多度津・富家〜瀬戸内海歴史民俗資料館〜根香寺


丹下健三を読み終えたのが12:30。確定申告・Gomyoの書類と、yuiさんから引き継いだ事務仕事2つを終えたので打ち上げしたい気分。多度津・富谷、2時までの営業だが、まだ間に合うかな? ともあれCDをかけながら車を出す。

13:15に到着。またしても主人調理目の前のカウンター。今日はお客さん5割り程度の入り。「塩そば」の小700円と「焼きめし」少なめ300円を注文。主人は寡黙。焼きめしは例によっておばちゃんの担当。

まず「塩そば」が来る。黒い油「マー油」が浮かんでいる。スープはすごくいい。チャーシューは2枚。前回のチャーシュー麺がけっこうな量だったので物足りない感じがする。

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宇和島鯛めし・卯之町開明学校


朝食後、部屋に戻ってブログを1本アップ。ホテルを出て隈建築を朝の光でもう一度撮影し、宇和島に向かう。途中、石垣を撮影。梼原から鬼北町にはいい石垣がたくさん見られる。

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福井講演旅(その4前半/一乗谷)


前夜も福井で泊まり、帰路は京都経由でのんびり旅。途中、県の人から「ぜひ見ておくといいですよ」と言われた一乗谷遺跡を見に行く。

一乗谷は福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代朝倉氏五代の城下町の跡がそっくり埋もれていた場所だ。元は兵庫県の豪族だった朝倉氏が、応仁の乱の活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、町づくりを始めた。以来、5代103年にわたって越前の中心として栄えた。

この1万人の都市には、応仁の乱で荒廃した京から、多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきたので、北陸の小京都とも呼ばれるほど華やかな文化がひらいた。が、天下統一の戦いの中で織田信長がここを焼き払い、一瞬にして消えてしまった。日本のポンペイとも言われる悲劇の都市跡なのだ。

信長が平定した後、越前八郡を与えられた柴田勝家は本拠を水運・陸運に便利な北ノ庄に構えたので、辺境となった一乗谷は田畑の下に埋もれていった。遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、その出土品の高さや庭園跡などを含む風致の高さから、全国で5例目となる国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けている(他の4ヶ所/京都の金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、広島の厳島神社)。

ちょうど資料館で特別展をやっていた。

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ナカシマの椅子と小鯛


高松市牟礼町「ジョージナカシマ記念館」なう。

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「まちのシューレ963」で座ってみたジョージナカシマ+桜製作所の椅子の座り心地に感銘を受けて、見に行ってきた。

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