10年後の、ヒジキの煮物


急須でお茶をいれるのが面倒なのでペットボトルのお茶を買う・・・なんて人がいるくらいだから、鰹節を自分で削ろうなんて人は皆無に近いのはよくわかる。だけど、削らない原因は解っているのだ。ほとんどの場合、鉋(かんな)がネックになっているのである。

鰹節は堅い物だ。どのくらい堅いかというと、身近にある木材でいうとスギやヒノキの節と同じくらい堅いのだ。だから、なまくらな鉋では削れない。大工さんが使うのと同等の上質な刃と、厚いカシの鉋台がついているものでないとダメなのだ。

さらに、ときには刃を台から抜いて研がねばならないし、研いだ刃を入れなおして刃の出方を自分で調整しなければならない。つまり、鰹節を削るためには鉋だけでなく、砥石とカナヅチが必要なのである。その砥石も荒砥・中砥・仕上げ、と3種類持たなくてはならない。

はい、そこのアナタ、「やめた」って思たでしょ(笑)。

そう、これはもう大工仕事である。丸元淑生は『キッチン・バイブル』で鰹節削りの項に19ページを割いているが、「料理の質を高めようとするときに、どうしても持っていなくてはならない道具が鰹節削り器である」と前振りしながら、以下のような激烈な文章を飛ばしている。

木に鉋をかけるのではなく、木の節のかたまりのようなものに鉋をかけるのが、鰹節を削ることなのだ。それはまったくの大工仕事だから、いくら料理が好きでも大工仕事は苦手という女性は、鰹節を削ろうとしないだろう。鰹節を削るのが大好きという女性はきわめて少ないはずである。

それがこの道具の特殊性なのだ。

だから、「男子厨房に入るべからず」を家訓にしているような家庭の食事は、かなり質が低いと思ってよい。というと日本中の家庭の主婦に激怒されそうだが、だれもが(とくに男性が)厳正に受け止めておかなくてはならない事実である。

そして昨日書いた文章に続くのだけど、子どもの頃、丸元さんの家では鰹節を削るのは自分の役割だったそうである(私の家では母が削っていたが、貧弱な削り器だったと思う)。

昆布と鰹節でとった出汁に酒と醤油でうすく味付けした基本ダシ。煮物や根菜の汁物はこれで作り、甘みが足りないときは仕上げにみりんを加える。今日はヒジキの煮物を作ってみた。

ヒジキにはニンジンと油揚げが大変よく合う。最初に鍋にゴマ油を入れてニンジンとヒジキをさっと炒め、水分を飛ばし海藻の臭みを消す。そこに基本ダシを加え中火で煮て、油揚げを加える。

ひたひたよりちょっと多めに「基本のだし汁」を入れて落としぶたで煮含めていく。

途中で味をみてみりんを足した。やはり何度作っても美味い。

奇遇にも、10年前の同じ日に私は群馬の山の中で昆布と鰹節の出汁をとり、「ヒジキの煮物」を作っていた。

鍋に水と昆布を入れ火にかける。沸騰したところで昆布を引き上げ、削りたての鰹節を投入。それを漉してとった出汁は、昆布と鰹節の旨味が合体した最高の出汁だ。いわゆる料亭や日本料理屋で使われる出汁がコレである。

1番出汁とか2番出汁とか、そんな面倒なことはどうでもよく、とにかく3~5分くらい鰹節を煮て漉しとり、それに酒と醤油を入れて「基本ダシ」をつくる。その濃さは「ゴクンとは飲めるけれど、ゴクンゴクンとは飲めない程度の塩っぱさ」というような文学的表現を、丸元淑生氏はどこかの本でしていたように思う。

この「基本ダシ」は、「おひたし」や、様々な「煮物」に使える。酒と醤油を入れた段階で、はじめ感じた旨味が一気に引いていくような感じがして、不安になる。が、ダマされたと思ってこれでヒジキでも煮てみると、そのすばらしさがよく解る。

市販の幕の内弁当などに入っているヒジキの煮物なんかとは、全く異なるものができる。塩辛さが薄いのだが、味わいがあるのだ。

市販の煮物は、ギャっと言うほど甘い。砂糖が調味に使われているせいだ。が、基本ダシで煮たものは、ほのかに甘い。そしてたっぷりの量を食べられるところがいい。

これは10年前のその日に書いたブログの文章であるが、今でもまったく修正するところがない。


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