散骨と、思い出の石鎚山


よい天気なので海に散骨に行くことにした。すでに骨は砕いて粉にし、散骨予定地の分に小分けしてあった。でも、まだ撒いていなかった。散骨にもなんだか勇気がいる。最初の撒き場所は観音寺の海と決めていた。闘病中に2人で何度か貝掘りに行った思い出の海だ。

小潮で満潮に向かう時間帯だったので、海岸線が近かった。遠くに山が見えた。谷に雪の筋を引いている。あれは石鎚山ではないだろうか? 何度も訪れているが、こんなにはっきり山が見えたことはなかった。

波打ち際に骨の粉をまいた。海面に白い粉が舞った。不思議な気分だった。

四国の最高峰、石鎚山。14年前、yuiさんと出会って間もなく、一緒に登った山だ。yuiさんとの出会いはいったいどんなふうに始まったの? よく訊かれる。

昔の日記から、あの山登りのときのものを抜粋し、ここに当時の雰囲気を伝えておきたい。


彼女は僕と2歳ちがい。会員数1万人という香川の「どんぐり銀行」、その系列で西日本有数の森林ボランティアグループ「どんぐりネットワーク」の副会長である。

ここまで大きな組織になると、代表は名のある人が座らされ、実質上の運営はその下に任されていることが多い。yuiさんは県職員でもなく森林への学識経験もない一介の主婦だ。しかし副会長を2期(1期2年)も任されているということは、それだけの信頼と実行力があるということなのだろう。

クラフトも得意で、いくつか写真や実物を見せてもらったが、その作品がちょっと抜きん出ているのである。工芸的な洗練に向かうのではなく、ネイティブアメリカンやアイヌの作品のような、縄文的な香りを感じさせるのだ。

またyuiさんは香川県でもっとも活動的な人工林ボランティアグループ「こにふぁくらぶ」の牽引者でもあり、車のトランクには愛用の大ガマやチェーンソーまで入っているのだった。

愛媛との県境を越えると道の右は海、左はすぐ山が迫っている。その山がほとんど人工林なのに驚いた。その多くが間伐遅れの山である。おそらく外材も相当持ち込まれるであろう瀬戸内の港を眼前にして、皮肉にも象徴的な光景だった。

以前、彼女にこんなメールを送ったことがある。

どんぐりネットワークの活動は、森林問題の啓発の糸口をつくったということでたいへんエポックな活動でしたが、これからはいろいろ問題も出てくるでしょう。

まず、なぜ広葉樹を植林しなければならないか? ということです。よほど条件の悪いところ以外は、日本の山は勝手に木が生えてくるのですから、広葉樹の植林を美談にしてはいけないと思います。一般の人は山に広葉樹を植えることが山を守ることだと勘違いしてしまう。何か目的がある場合や記念植樹の場合と一般の植林は別に考えねばならない。ここをメンバーの皆さんが理解して乗り越えていくことが大切だと思います。

もう一つ、里山の管理はある種の公園化を目指す手法と、もう一つ「誘導伐」によって山を仕立てていく方法があると思います。前者は中川重年さんらが得意のものですが、それは定期的・持続的な手入れが必要で、全ての里山や自然林にあてはめることはできません。

むしろ、これからは後者のほうが一般的になっていくでしょう。里山の公園的な管理は人工林よりもはるかに難しいのです。ここも押さえておく必要があるでしょう。

彼女もまた、自身の熱心な活動の中で、人工林の間伐の重要性に気づいた様子だった。そして、どんぐりネットの舵とりをどうするかで悩んでいるようだった。ともあれ大勢の人間をまとめるだけでも大変なことなのだ。僕は、森の活動のためにいままでずいぶん身銭を切ってきたし、活動に入れ込むことで様々な苦労を味わったが、彼女もまた同じような思いをしてきたことだろう。

そんなyuiさんが、思いがけず広島の全国の集いにやってきて、5月の伊勢神宮宮域林見学にも来てくれた。話してみると、彼女もまた唐突に森に目覚めたタイプで(女性の森林ボランティアにはなぜかこのタイプが多い)、自分の思いと、森林の知識・体験の少なさのギャップに悔しがっている。山登りもしたことがなく、これからいろんな場所を見てみたいという。

伊予西条で高速を降りて、加茂川に沿って山中に入る。このあたりからぐんと大きく山々が立ちはだかってくる。実は、ビギナーにとって石鎚山はかなりハードなコースだ。ロープ-ウェイを利用して最も頂上に接近したとしても、そこからは往復6時間のコースタイム。途中に鎖場もあり、登りの高低差は700m以上ある。山頂付近は断崖絶壁の岩山。

yuiさんは登山の経験はほとんど無いという。でも、学生の頃は体育会系のスポ-ツウ-マンだったというし、こにふぁのオジサンたちとハードな山仕事をこなしているからたぶん登れるだろうとふんだのだ。いや、彼女にはぜひともこの機会に、西日本最高峰の石鎚山に登ってもらいたいと思ったのだ。

ところが、せっかく購入しておいた登山ガイド地図を忘れてきてしまった( ̄□ ̄;)。ちょっと心配。

ロープ-ウェイ乗り場に着くとすでに登山客の車が止まっていて、そこにいたおじさんに駐車スペースを誘導される。で、すぐさま700円の駐車料金を徴収され(んんん・・・?)、8:00発のロープ-ウェイの値段が往復1,900円なのだった(高い!)。

ところが、このロープ-ウェイ、高度差800m以上を一気に登っていくというなかなかのもの。山頂成就駅の標高は1291m。ここから1kmほど下り道が続き、そこからだらだらと長い登りが始まる。

しかしそこは、登りの辛さを吹き飛ばすかのような、すばらしい原生林の尾根道であった。太いブナを中心に、ミズナラ、ハリギリ、ヒメシャラ、ミズメ、ヒノキ、ツガ、モミなどなど、とにかく樹種が豊かなのだ。大木が根こそぎ倒れているところや、風倒木、立ち枯れの木もあって林内は明るい。クマザサが覆う斜面もあり、他の草本が支配している斜面もある。巨木の点在する中に様々な中層木が生えて、次の出番を待っているという風情だ。こんなところはチョウも多い。時おり飛んでくるチョウとともに、ツガの針葉樹特有の匂いが流れてきて、幸福な気分に満たされた。

ペースを落しながら、写真を撮りながらひょいひょいと歩く僕をみて

「どうやったらそんなふうに歩けるのぉ~」

と肩で息をして汗びっしょりのyuiさんが悔しがっている。マズイマズイ、短かめに休憩を入れてかなきゃ。

広々とした鞍部に出る。山頂と天狗岳の絶壁が迫力をもって迫ってくる。水色の小屋の間に鎖場が見えた。かなりの高度感だ。

「鎖場が楽しみだな~」などと強がっていたyuiさんも、さすがにバテ気味で腰が引けた様子。万が一を考え、巻き道を行くことにする。

登山道はとてもよく整備されていて、間伐材を使った階段が丁寧につけられているし、この巻き道もしっかりした鉄の板が岩壁に取付けられていて快適だった。

ぐんぐん登る。最後の鎖場に来た。大学生風のグループが鎖場を直登するか巻くかで迷っている。

「・・・よっしゃ、オレ行くぞ!」

一人が鎖場の道へ進んでいった。

ついに山頂の尾根に出た。気持ちのいい風が全身を包む。お社の工事で大工さんたちが作業をしていた。挨拶しながら山頂へ続く歩道を進む。眼前に鮫の刃のような天狗岳、着いた。石鎚山弥山山頂(1982m)。

yuiさんと握手。持参したおにぎりを食べる。かなり水を飲んでしまった。2人とも、ペットボトルの飲み物が残りわずかだ。朝方の人出は少なかったのに、頂上には沢山の人が集まっていた。

石鎚山は、1300年前に役の小角(えんのおずぬ)が開山。若き日の空海もこの峰峰で修行をつんだという。天狗岳へ続く縦走道は、空海が踏んだ道でもあるのだ。

食後、天狗岳を往復する。北面は断崖絶壁、南面もかなりの勾配である。しかしyuiさんはぜんぜん怖がる風でもなく、安定した足取りをみせている。この人、度胸と運動神経はかなりのものだ。yuiさんはかつて病気で九死に一生を得た体験があるらしい。

「いちど死んだと思えば何でもできるし、やりたいことはやり遂げたいと思うよ」

今の行動力はその体験に根ざしているのかも? と自分を分析する。
再び頂上に戻り、下り始める。のんびり風景を楽しみながら、休み休み下る。時おり森林ボランティア系の雑談を交えながら。荷物が軽いので下りは楽勝である。それにしてもさすが石鎚山。往復でたっぷり汗をかかされ、久々に「山登りした!」という気分になった。yuiさん、感想は?

「後をついていくので精一杯だったよ!」いや、すまん♪

びしょ濡れのシャツを脱いで乾いたTシャツに着替える。車の影で着替えたのか、yuiさんはいつの間にかポロシャツに短パンにサングラス姿になって、車に乗り込んでいた。実はこの人けっこう飛ばし屋、山道のドライブ・テクニックもなかなかのもの。で、オダカズのCDをかけるとそれを口ずさみながらさらにエンジン音が唸り出すのであった。

(おいおい、僕もかつて自動車事故で奇蹟の生還をしたことがあるんだゾ!)

夕刻は「さぬきこどもの国」を眺めに高松空港へ行った。空港の滑走路の平行してあるこどもの国はすごい立派な施設だった。yuiさんは長年ここのボランティアにも関わっていて、いま僕のタマリン紙芝居を起用する企画をプレゼンしてくれているところなのである。空港で買ったお土産は「醤油豆」と「えび天」だ。

讃岐平野の夕日は長く見れて美しい、ということを知った。なるほど、夕日を見るにはいい地形なのだ。雨が少なく日照時間日本一だから夕映えを見るチャンスも多い。山の形も独特でそのシルエットが夕空に映える。田畑の緑が斜光に鮮やかに輝く。ため池が空の青を映す。その池にハスの花が多いのも気に入った。

夜行バスの出発時間まで居酒屋に案内してもらう。yuiさんは町中の電器屋の娘だそうで、お惣菜屋さんに囲まれた下町で育ったんだそうだ。なんだかそんなところも僕によく似ているな。

「オレたちはゲーリー・スナイダーの言う”Dharma Friend” (Dharma=真理・仏法、すなわち”道の友”)なのかもしらんな・・・ 」

居酒屋のカウンターでおでんをつつきながら、ふとそんな言葉が思い浮かんだ。わざわざ仕事を休んで朝の5時からバスの見送りまで、長い1日をつきあってくれてありがとうyuiさん。今日の石鎚山の風があなた自身を変えていくことを祈っているよ。


貝殻と流木を拾った。今日の観音寺の石鎚山、yuiさんが見せてくれたのかもしれなかった。


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